2008年02月21日

煙る鯨影 / 駒村吉重 [書評]

煙る鯨影煙る鯨影
駒村吉重

単行本, 小学館, 2008/01/31

 日本には今も現役の商業捕鯨船が存在する。

 と云うと、あるいは意外に思われる方もいらっしゃるかもしれない。国際捕鯨委員会(IWC)における「商業捕鯨の一時停止」措置の決定を受け、日本では現在、調査捕鯨のみが行われていて、商業捕鯨はまったく行われていない、と、きっと多くの方が思われているに違いない。評者もこの本に出会うまではそう思っていた。

 しかし実際には、IWCが保護の対象としているのは、83種の鯨類のうち、シロナガス鯨、セミ鯨、イワシ鯨などの髭鯨を中心とする13の大型種であって、それ以外の鯨類については、今もなお商業捕鯨が可能なのである。

 とは云え、需要と供給のバランスから云えば、大型鯨類の捕獲禁止は、事実上、商業捕鯨の全面禁止に等しい。水産庁の管理のもと、現在日本で5艘のみが操業している小型捕鯨船が獲っているのは、肉に独特の臭みがあるため、国内でも一部の地域でしか需要のない、ゴンドウ鯨、ツチ鯨といった小型の歯鯨である。しかもそのわずかな需要さえ、近年、徐々に減りつつあり、ただでさえ逼迫している日本の商業捕鯨を取り巻く環境は、出口の見えないトンネルの中にいるようである。本書は、そうした厳しい状況の中、それでもなお鯨を追い続ける海の男たちを追った、著者渾身のドキュメンタリーである。続きを読む
2008年02月18日

嘘つきアーニャの真っ赤な真実 / 米原万里 [書評]

嘘つきアーニャの真っ赤な真実嘘つきアーニャの真っ赤な真実
米原万里

文庫本, 角川書店, 2004/06

 そのあまりにも早すぎる訃報(2006年5月)もまだ記憶に新しい、ロシア語通訳にしてエッセイスト、作家でもあった米原万里の『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』を読む。大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した本書は、米原自身を主人公に、彼女の在プラハ・ソビエト学校時代の3人の旧友との再会を描いた作品である。

 かつてプラハには、国際共産主義運動の理論誌の編集局があり、マリ(米原)の父は日本共産党からそこに編集員として派遣されていた。マリは1960年から1964年、彼女にとっては9歳から14歳までの約5年間をかの地で過ごした。彼女が通った在プラハ・ソビエト学校は、ソ連外務省が直接運営する外国共産党幹部の子女のための学校で、そこには当時、50ヵ国以上もの国々の子どもたちが学んでいた。故国を離れて暮らす彼らは皆「イッパシの愛国者」だった。米原は彼らの愛国心について、
 異国、異文化、異邦人に接したとき、人は自己を自己たらしめ、他者と隔てるすべてのものを確認しようと躍起になる。自分に連なる祖先、文化を育んだ自然条件、その他諸々のものに突然親近感を抱く。これは、食欲や性欲に並ぶような、一種の自己保全本能、自己肯定本能のようなものではないだろうか。
 と云い、また彼女自身、そこで「愛国心の萌芽のような」感情をはじめて自覚したと語る。続きを読む
2008年02月09日

カイト・ランナー / カーレド・ホッセイニ [書評]

カイト・ランナーカイト・ランナー
カーレド・ホッセイニ / Khaled Hosseini
佐藤耕士

単行本, アーティストハウスパブリッシャーズ, 2006/03

 アフガン人作家カーレド・ホッセイニの小説『カイト・ランナー』を再読する。

 評者が最初にこれを読んだのは、今から2年前のことである。なんの予備知識もなく、たまたま書店で見かけて手に取ったのだが、評者が買ったハードカバーの『カイト・ランナー』(アーティストハウスパブリッシャーズ刊)は、その後ほどなくして絶版になっている。ところが昨年12月、それが『君のためなら千回でも』と改題され、ハヤカワepi文庫から復刊された。これを原作にした同名の映画の、日本での公開に先駆けてのことである。

 ソ連軍による侵攻以前の平和なアフガニスタン。首都カブールの裕福な家庭に生まれたアミールは、誕生と同時に母を亡くし、実業家の父ババと一緒に暮らしている。家には召使いの父子アリとハッサンがいて、かつてババとアリが兄弟同然に育てられたように、ババもまた、アミールとハッサンとをわけ隔てなく育てている。続きを読む
2008年02月04日

家守綺譚 / 梨木香歩 [書評]

家守綺譚家守綺譚
梨木香歩

単行本, 新潮社, 2004/01

 「文明の進歩とやらに今ひとつ棹さしかねてる」駆け出しの物書き綿貫征四郎は、若くして亡くなった学友高堂の実家に、ひとり家守として起臥している。時代はおよそ百年前の明治の末、場所は登場する地名から京都周辺と察せられるが、いずれもはっきりとは示されていない。

 とある嵐の晩、征四郎が布団を引っかぶって寝ようとすると、床の間の掛け軸から何やら音が聞こえてくる。
 布団から頭だけそろりと出して、床の間を見ると、掛け軸の中のサギが慌てて脇へ逃げ出す様子、いつの間にか掛け軸の中の風景は雨、その向こうからボートが一艘近づいてくる。漕ぎ手はまだ若い……高堂であった。近づいてきた。
 ――どうした高堂。
 私は思わず声をかけた。
 ――逝ってしまったのではなかったのか。
 ――なに、雨に紛れて漕いできたのだ。
 高堂は、こともなげに云う。
 のみならず高堂は、征四郎に「庭のサルスベリの木がおまえに懸想している」と告げ、征四郎は征四郎で、その言葉に「実は思い当たるところがある」と得心する。そうして「家守」征四郎の「綺譚」は始まる。河童、仔竜、人魚、小鬼、桜鬼……。さまざまな怪異が、まるで季節の風物がごとく、征四郎の周辺に現れては消えてゆく。続きを読む
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