![]() | 母と旅した900日 王一民, ユ・ヒョンミン 蓮池薫 単行本, ランダムハウス講談社, 2008/02/28 |
去る2002年、24年に渡る北朝鮮での拉致生活ののち日本に帰国したあの蓮池薫氏が、現在翻訳家として活躍されていることを、評者は寡聞にして知らなかった。評者がそのことを知ったのは、先日放送されたNHKの書評番組「週刊ブックレビュー」においてだった。その日、特集コーナーのゲストとして登場した蓮池氏は、氏の最新の訳書である本書とともに紹介されていた。
本書は、99歳の母と、その母親を乗せたリヤカーを自転車で牽いて、3万キロに及ぶ旅をした74歳の中国人男性の、壮大な親子愛を綴ったノンフィクションである。中国全土で大きな話題となり、日本でもそのドキュメンタリー番組が紹介されたこの実話を、本人へのインタビューをもとに、韓国人作家ユ・ヒョンミンが文章にまとめたものである。
王一民(ワン・イーミン)さんは、中国の最北端、黒龍江省塔河(ターホー)に、老いた母親と二人で暮らしていた。僻地のその村にあって、貧しい暮らしのなか、家族を食べさせるため生涯我が身を犠牲にし、旅行など一度もしたことのなかった母。生活は今も楽ではないが、その母が元気なうちに、どうにかしてこの世の中を見せてあげたい。そう考えた一民さんは、母親をリヤカーに乗せ、自転車でそれを牽いて旅に出ることを思い立つ。
どこに行きたいかと尋ねる一民さんに、母は「西蔵(チベット)へ行きたい」と答える。「天に最も近い場所」と云われる西蔵。母にはきっとかの地への憧れがあるのだろう。とはいえ塔河から西蔵の区都拉薩(ラサ)までは、陸路で行けば約1万キロ。74歳の老人がリヤカーを牽いて行ける距離ではない。
しかし村から出たことのない母には、その途方もない道のりが理解できず、「たいしたことねじゃねえか。こうしてずうっと行けばええ」と、おぼつかない指先で地図をたどる。すっかりその気ではしゃぐ母の姿に、母さんが喜んでくれるならと一民さんは出発を決意する。なけなしの資金で改造した自転車には、母を乗せる屋根つきの荷台を据えつけ、四方に大きく窓をとった。そうして99歳の母親と74歳の息子は、遥か南西の聖地を目指して旅立っていった……。
本書の帯には、『中国全土が涙した感動のノンフィクション』という惹句が記されている。いわゆる「お涙頂戴もの」に括られるだろう一冊であることは、評者も否定しない。しかしどうだろう、まさにそうした「泣ける」読み物を期待して本書を手にした読者は、少なからず肩透かしを喰らったのではないだろうか。案に反して本書の文章は、素っ気ないくらいに淡々としている。「さあ、ここが泣きどころですよ」という、お涙頂戴ものにお約束のドラマチックな演出は、およそどこにも見当たらない。しかしまさにそこにこそ、一民さんの篤実な人柄がありありとうかがえる。
もともと一民さんは、この旅が美談として大々的に取り上げられることを、あまりこころよく思っていなかった。ただ当たり前のことをしているだけなのに、どうしてマスコミは持ち上げたがるのだろう。そんな素朴な疑問を、一民さんは本書の中でいく度となく呈している。ユ・ヒョンミン以前にも、何人もの中国人作家がこの旅を本にしたいと面会を求めてきたそうだが、一民さんはそのことごとくを固辞してきたという。当のユ・ヒョンミンに対しても、一度はその申し出を断っているのである。
のんびり国内のあちこちを見物しながら旅を進めていた二人は、やがてマスコミの知るところとなり、新聞やTVを通じて中国全土に報じられる。いきおい行く先々で人びとに囲まれ、しばしば手厚いもてなしを受けるようになる。それに対し一民さんは、ときに過熱気味の歓迎に困惑し、またときにそうした厚意を素直に受け入れている。そうした一民さんの行動は、一見、行き当たりばったりのようにも思える。
しかし、たとえば自転車に原動機を付けてあげようという篤志家の申し出を断ったのは、それまでどおり自分たちのペースで進んでゆくほうが、母が安らぐだろうと考えたからだし、また都市部の有名ホテルが競い合うように提供する部屋に、本当はそれらが二人を宣伝に利用したいがためと知りつつ泊るのは、野宿と自炊が中心の旅にあって、たまには母親に美味しい食事を与え、暖かいベッドで寝かせたいと願ったからである。傍目には一貫性のないようにも見える二人の旅は、実は徹頭徹尾、互いを思う気持ちに貫かれている。そんなふうに何の衒いもなく、ただ自らの心のおもむくままに母を思いやる一民さんの誠実さは、読者に深い感銘を与えずにおかない。
多くの中国人作家に対してこの旅の書籍化を断り続けた一民さんが、韓国人作家であるユ・ヒョンミンにそれを託したのもまた、そうした母への思いからにほかならない。旅の途中、青島(チンタオ)の港で、対岸に位置する韓国に母親が思いを馳せる場面がある。けれど一度韓国を見てみたいという母の願いは、ついに叶うことはなかった。それゆえ一民さんは、活字を通して母の魂がかの地の空に遊ぶことを願ったのである。
上にも書いたように、ユ・ヒョンミンの文章からは、作家である彼にはやろうと思えばいくらでもできただろう、泣かせるための演出は、ほとんど見られない。それもおそらくは、彼の一民さんに対する敬意からだろう。安易な虚飾を排し、一民さんと母親との気持ちをありのままに伝えたユ・ヒョンミンの英断もまた称えたい。そうして一民さんの母の魂は、一民さんの思いとともに、西方の拉薩のみならず、東方の韓国、そしてさらに海を越え、我々の住む日本にも届いたのである。




私も、週間ブックレビューでこの本を知りました。
親孝行が第一の徳とされる韓国人作家がこの本をまとめたとういうのも、やはり何か訴えるものがあったのでしょうね。
佐吉さんのレビューを読んで私も読んでみたくなりました。
おっしゃるとおり、儒教思想の強い韓国の作家だからこそ、という側面はあるでしょうね。上にも書いたように、語り口が淡々としているため、読み物としてはひどくあっさりした印象を与えるかもしれませんが、読んでみると、これが正真正銘の実話だということにあらためて驚かされます。一読の価値のある一冊だと思います。
昨日、この本を読みました。誰も真似のできない驚きの事実なのに、とてもあっさりとした読後感でしたが、母を思う一民さんの発した言葉や行動を思い起こしてみると深く重く刻まれるものがありました。
途方もない親孝行譚なのに、語り口はひどく淡々としている。きっとそれこそがこの本の本質なのでしょうね。おっしゃるとおり、なんの衒いもなく、あくまで当たり前のこととして母親への思いを語り、それを実践する一民さの言動と口調にこそ、佐吉も強く胸を打たれました。
娘を膝の上に乗せながらPC覗いてます。
のんびり見させていただきます(* ̄∇ ̄*)
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それでは失礼します。
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