2008年09月13日

チャリオンの影 / ロイス・マクマスター・ビジョルド [書評]

チャリオンの影 上チャリオンの影 上
ロイス・マクマスター・ビジョルド / Lois McMaster Bujold
鍛治靖子

文庫本, 東京創元社, 2007/01/30

 ロイス・マクマスター・ビジョルドは、1986年のデビュー以来、未来の宇宙を舞台にした軍事SF 『ヴォルコシガン・サガ』シリーズで、アメリカの主要なSF文学賞を次々に受賞し、今やアメリカSF界に確固たる地歩を占める作家である。同シリーズは、それぞれに個性的な登場人物の魅力と、ぐいぐいページを繰らせるストーリーテリングの巧さとによって、多くの読者をとりこにしている。

 本書はそのビジョルドが満を持して発表した、「五神教シリーズ」と題する異世界ファンタジー三部作の第一弾である。物語の舞台となるイブラ半島は、いくつものキリスト教国が林立し、イスラム勢力と激しい覇権争いを繰り広げた中世のイベリア半島をモデルにしているという。ちなみに口絵にあるイブラ半島の地図は、ちょうどイベリア半島の南北を入れ換えた格好になっている。

 半島の内陸には、父神、母神、御子神、姫神、庶子神の五柱の神々を崇める五神教諸国があり、対して北の海を隔てた群島を本国とするロクナル公国は、五神のうちの庶子神を魔として忌避する四神教国である。半島の覇権をめぐる両者の争いは何世代にも渡っており、かつてはロクナルが半島全域を席巻したこともあったが、その後五神教国が盛り返し、北部沿岸に押し戻されたロクナル勢は、現在そこで五つの小国に分裂し、五神教諸国との緊張状態を保っている。

 五神教国の一つチャリオンの指揮官として最前線の砦を死守していたカザリルは、自国の宰相ジロナルとその弟ドンドの陰謀によって敵国の捕虜となり、その後海賊に売られ、1年7ヶ月に渡って奴隷として酷使されたのち、ようやく同盟国の艦隊に救出され、身も心もぼろぼろになって故国に戻ってきた。

 何もかも失い物乞い同然となったカザリルは、厩舎か厨房の職にでも就けないかと、少年の頃に小姓として仕えていたバオシア藩太后を訪ねる。カザリルの有能ぶりと高潔さをよく知る藩太后は、そんな彼を、孫娘にして現国主の異母妹であるイセーレの教育係兼家令に任命する。

 若さゆえの無鉄砲さが玉に瑕だが、聡明で快活で正義感の強い国姫、イセーレ。そんなおてんばなお姫様の教師として穏やかな日々を過ごすうち、カザリルの心と体も次第に癒えていった。が、それも束の間、イセーレと弟のテイデスは、国主の命によって宮廷に出仕することになる。病弱で子供のいない国主オリコが、テイデスを正式に世継ぎとすることにしたのである。むろんカザリルも従者として国姫に同行する。

 宮廷では、国主は名ばかりの存在で、チャリオンの実権はジロナルに握られていた。ジロナルは自分たちの権力をより強固なものにするべく、テイデスを手懐けようとする一方、イセーレをドンドと結婚させようと企む。カザリルたちは必死にそれに抗うが、宰相らの狡猾な策略の前になす術もない。結婚式の前夜、万策尽きたカザリルは、ドンドに対し、成功すれば相手は死ぬが、その代価として自らも命を落とすという、禁断の死の魔術を試みる……。

 こうして物語の中盤に至ってようやくファンタジーらしい道具立てが前面に現れてくるのだが、そこまでの流れにはファンタジーというよりむしろ、陰謀渦巻く宮廷での権力闘争を描いた時代小説の趣きがある。実を云うとここまでの経緯は、(それだけでも充分波乱含みだが)この波乱に満ちた物語のほんのプロローグにすぎず、このあと、カザリルらが真に対峙すべきは、先々王がやはり死の魔術によってロクナルの将軍を葬った際にチャリオン王家にかけられた呪詛であることがわかる。やがて皮肉にも、神の守護と魔の呪いとを同時に体内に宿すことになったカザリルが、イセーレらとともに、いかにしてその呪詛を破るかが本書の圧巻である。

 とはいえそこでも、カザリルらの前に立ちはだかるのは、超自然的な力とは関係なく現世的な権力に固執する宰相とその一派である。この物語世界においては、神々には物質界の木の葉一枚動かすことはできず、神の手に触れられた「聖者」が神に代わってその意志を顕現させる。しかしその聖者にも、自らの選択が神の意志によるものか自分の意志によるものかを知る術はなく、彼らはただ己の信じるところに従って行動するしかない。そうして物語は、表面上、チャリオンの支配者の座をめぐる生身の人間同士の抗争として展開し、そこに図らずも聖者となってしまったカザリルの苦悩が重ねられてゆく。そのことが、この神に導かれた人間の物語に、ファンタジーらしからぬリアリティと厚みを添えている。ファンタジーでありながら、主役を務めるのが若者ではなく、酸いも甘いも噛み分けた大人の男であるというのもまた特筆すべき点だろう。

 登場人物は比較的多いが、一人ひとりが見事に書き分けられていて、それぞれに実に鮮明な像を結ぶ。とりわけ主人公カザリルのキャラクターが魅力的である。また、場面は目まぐるしく移り変わるが、その展開には説得力があり、それぞれの描写には無駄がない。派手な活劇シーンなどほとんどないにもかかわらず、最後の一ページに至るまで読者の心を捉えて放さない、完成度の高いエンターテインメント作品に仕上がっている。ビジョルドならではの魅力的な人物造形とストーリーテリングの妙は、ファンタジーにおいてもやはり健在である。

チャリオンの影 下チャリオンの影 下
ロイス・マクマスター・ビジョルド / Lois McMaster Bujold
鍛治靖子

文庫本, 東京創元社, 2007/01/30
The Curse of ChalionThe Curse of Chalion
Lois McMaster Bujold

マスマーケット, Harpercollins (Mm), 2002/10/01

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