2008年09月27日

エヴァ・ライカーの記憶 / ドナルド・A・スタンウッド [書評]

エヴァ・ライカーの記憶エヴァ・ライカーの記憶
ドナルド・A・スタンウッド / Donald A. Stanwood
高見浩

文庫本, 東京創元社, 2008/08

 著者のドナルド・A・スタンウッドは1950年カリフォルニア州生まれ。本作『エヴァ・ライカーの記憶』は1978年に刊行された彼のデビュー作である。スタンウッドは、ハイスクール時代に得た着想をもとに、オレンジ・コースト・カレッジの創作科に在籍していた20歳のときから8年の歳月をかけて、この長大なミステリを書き上げたという。翌1979年には日本でも紹介され、その年の「週刊文春傑作ミステリー・ベスト10」で第4位に輝いている。しかしながらスタンウッドは、その後凡庸な作品を1本発表したきり表舞台から姿を消している。つまり、『エヴァ・ライカーの記憶』はスタンウッド一世一代の作品なのである。

 邦訳はのちに絶版となり、長らく復刊を望む声が高かったが、ここにきてようやくそれが実現した。本書の解説で書評家の川出正樹は、本格ミステリ、ハードボイルド、サスペンス、冒険小説、パニック小説など、エンターテインメントのさまざまな要素を包含したオールタイムベスト級の傑作、と、やや舞い上がり気味にこの作品を絶賛している。

 1941年、真珠湾攻撃直前のハワイで、アメリカ人観光客夫婦が相次いで殺害される。夫のアルバート・クラインは当初事故死とみられたが、妻のマーサは宿泊中のホテルでバラバラにされ、ドレスバッグに詰め込まれていた。その第一発見者となったホノルル警察の巡査ノーマン・ホールは、現場のあまりの凄惨さに職務を放棄して遁走、そのまま職を辞してしまう。

 それから21年後の1962年、通信社の記者を経て小説家に転身し、今や押しも押されもせぬ人気作家として、パリ郊外で優雅に暮らしていたノーマンのもとに、タイタニック号引揚げ調査のルポ執筆の依頼が舞い込む。史上最大の海難事故からちょうど50年、アメリカで財を成した大富豪ウィリアム・ライカーが、私財を投じてタイタニック号の遺留品引揚げプロジェクトを計画し、そのタイアップ企画の執筆者にノーマンを指名したのだった。

 実は、迷宮入りとなった21年前の事件で惨殺されたマーサは、殺される前に自分たちはタイタニック号の生存者であるとノーマンに告げていた。その奇妙な偶然に宿命的なものを感じたノーマンは、自らの忌まわしい過去を清算するという意味も含めて執筆依頼を快諾し、タイタニック号の関係者を訪ねて世界中を飛び回り始める。

 そんなノーマンの行く先々で、関係者が殺されたり、彼自身が命を狙われたり、と次々に不可解な事件が起こる。一方でライカーはノーマンとの会見を拒み続け、引揚げの真の目的は藪の中。ノーマンに与えられた手掛かりはただ一つ、ライカーの妻がタイタニックの犠牲者であり、娘エヴァは生還したものの当時の記憶を失っているということだけだった。50年前の悲劇、20年前の惨劇、そして今目の前にある危機の謎を解く鍵を求めて、ノーマンはエヴァの「失われた記憶」に迫ってゆく……。

 ホラー小説さえ髣髴させる殺害現場のスリリングな描写、スパイ小説さながらのライカー邸潜入の一幕、タイタニック号の回想シーンはサスペンスに満ちたパニック小説を思わせ、最後には探偵小説の王道とも云うべき、関係者を一堂に集めての謎解き。この500ページ余りの物語には、エンターテインメント小説のあらゆる要素がこれでもかとばかりに盛り込まれている。プロットは実に大胆に、丹念に、周到に練られていて、ハードボイルドな文体とスピーディーな展開、そしてどんでん返しに次ぐどんでん返しで、最後まで読者を退屈させない。

 が、しかし、それらの要素が総じて、一流のエンターテインメント小説に昇華されているかと問われれば、お世辞にもそうとは云い難い。なるほど本書は、一冊でさまざまなエンターテインメントの要素を味わわせてくれる。が、そのいずれにおいても一級品ではない。読み終えてみて、それぞれの要素を堪能したというにはほど遠く、せいぜいつまみ食いをした程度の印象しか残らない。

 なにより、本作は主人公に魅力が感じられない。21年前のクライン夫妻殺害事件は、ノーマンにとって職務を放棄してしまうほどショッキングであり、その後もずっとトラウマになっていたはずなのに、探偵役となって以降の彼にはまるで他人事。そのことを気にかけている様子が微塵も見られない。それゆえ血の通った人間としての人物像が立ち上がってこず、いったい何がノーマンを謎の解明に向かわせているのかが、さっぱり見えてこない。

 そもそも彼が、天才的な頭脳と超人的な身体能力と人並みはずれた胆力を兼ね備えたスーパーヒーローなのか、それとも、思いがけず厄介な事件に巻き込まれてしまった、あくまで普通の範疇に入る人なのかさえ判然としない。それをどちらと捉えるかによって、一連のノーマンの活躍はだいぶ違って見えるはずなのだが、著者のスタンウッドが、この主人公をどういう人物として描いたつもりなのかが、どうにもはっきりしない。要するに、まるでキャラが立っていないのである。それゆえ、単なる狂言回し以上の存在感が彼から伝わってこない。

 ノーマンに限らず、登場人物の造形は概して雑だ。また、プロットを凝らすことに一所懸命な反面、肉付けがなんともおざなりで、小説としての厚みや深みがほとんど感じられない。あまりにもテンポが良すぎる所為か、50年という時間を行き来し、世界中を飛び回っているにもかかわらず、場面ごとに書割りを入れ替えただけの小芝居を見ているような感覚をおぼえる。加えてハードボイルドと呼ぶには今ひとつ垢抜けない文体が、作品そのものを安っぽく見せてしまっている。

 本書の帯の惹句には、有栖川有栖の「これぞエンターテインメントのフルコース」というコメントが採られている。が、この作品からは、フルコースというよりむしろ幕の内弁当、それも、ありきたりの食材を使い、かつ全体的にくどい味付けを施した、スーパーやコンビニで見かけそうな幕の内弁当が連想される。たしかにどのおかずもそこそこ美味く、満腹にもなるのだが、上等な食事を楽しんだという満足感はない。もっともそれは、過大な期待をしなければ、いろんな味がそれなりに楽しめてリーズナブル、ということでもあるわけだが。

※ 本書は「本が好き!」を通じて献本していただきました。

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