2008年10月22日

金春屋ゴメス / 西條奈加 [書評]

金春屋ゴメス金春屋ゴメス
西條奈加

文庫本, 集英社, 2008/09/30

 時代小説や時代劇は、いつの世にも多くの日本人に愛されてきた。しかし云うまでもなく、現在、実際にその時代を体験した人はいない。ならば、たとえば江戸を舞台にした作品であれば、現代人がそこに感じるリアリティの拠り所は、かつて現実に存在した江戸ではなく、現代人が思い描くイメージとしての江戸だと云えるだろう。極端な話、歴史上の事実からは大きく乖離していても、現代人にとってはむしろそのほうがリアルに感じられる、という事柄さえあるかもしれない。

 そのように、歴史上の事実としての江戸を下敷きに、現代人に向けて江戸のイメージを創出したものが通常の時代小説だとすれば、この小説は、イメージとしての江戸を背景に、まったくの異世界を構築した作品と云うことができる。そしてまさにそのことが、この異色作がファンタジーたる所以であり、この作品の最大の魅力である。

 2005年度の第17回日本ファンタジーノベル大賞受賞作が文庫化された。書店の平台でもひときわ目を引くだろう、このカバーに描かれた獰猛そうな怪獣、いや人物こそ、誰あろう、厚顔無恥、冷酷無比、極悪非道で知られた長崎奉行馬込播磨守。身の丈六尺六寸、目方四十六貫の巨躯を持ち、大盗賊でさえ恐れをなすという、通称「金春屋ゴメス」である。物語の冒頭、ゴメスは十三夜の月を眺め、今では人が暮らしていると聞くその月を『まがい物くさい話』と評する古参の手下にむかってつぶやく。『いまの時代、この江戸のほうがまがい物なんだろう』……。

 近未来の日本に独立国家「江戸」があった。北関東から東北にかけて、東京、千葉、神奈川を合わせたくらいの版図を持ち、町並みや人々の生活様式は近世の江戸そのもの。専制君主制のもと鎖国が敷かれ、わずかな諸外国との通商の便宜上、「出島」が設けられているものの、外国から科学文明の産物を持ち込むことは固く禁じられていた。

 20歳の大学生辰次郎は、江戸に生まれながら幼くして出国し、当時の記憶を失くしたまま日本で育った。辰次郎は、肝臓病で余命いくばくもない父のささやかな願いを叶えるため、江戸への入国を希望し、競争率300倍の難関をくぐり抜け、それを果たす。竹芝埠頭から千石船で江戸に渡った辰次郎は、長崎奉行と懇意の一膳飯屋の主に迎えられ、右も左もわからぬうちにゴメスの配下となる。折しも江戸では、罹れば必ず死に至るという奇病「鬼赤痢」が蔓延しつつあった。実は辰次郎は、15年前にその難病を患いながら、奇跡的に助かった唯一の生存者だった。ゴメスは、辰次郎の失われた記憶に鬼赤痢の謎を解く鍵があるとにらみ、裏から手を回して彼を入国させたのだった。

 現代人が持つ江戸のイメージを具現した架空の独立国家「江戸」。イメージとしての江戸は、イメージであるがゆえに可塑的である。これがたとえばSFのタイムスリップものであれば、現代や未来のテクノロジーを過去の世界に持ち込んではならない、つまりその世界を変えてはならないということは、誰もが了承するところだろう。けれどこの物語においては、そのような禁忌は必ずしも自明ではない。そこに現代や近未来の科学文明を持ち込まないというのは、あくまで人為的に定められたルールにすぎない。ならば人命尊重の立場から、医療技術や薬は例外としてもいいのではないか、と考える人がいても不思議ではない。実際、そのような問題提起がこの物語の一つの軸になっている。それをいけないとする根拠は何なのか。そもそもここに創出された「江戸」とは何なのか。そうしてこの作品は、現代人の思い描く「イメージとしての江戸」とはどういうものなのか、と読者に問いただす。

 物語は基本的に捕物帖の構えをしている。ただし正直に云って、捕物帖としてみるかぎりにおいては、ややお粗末と云わざるを得ない。登場人物が無駄に多くて煩わしいうえに、謎解きも決して手際のよいものではなく、話の展開にもやや強引なところが見られる。作品のタイトルにもなっているゴメスにしても、その風貌に似合わぬ素顔が早い段階で明らかにされてしまうため、凝った人物造形の割に印象が薄い。手馴れた時代小説作家の書く捕物帖と比べるのは酷、というより的はずれかもしれないが、これでさらに読み物としての面白さが加われば、と思うのは独り評者だけではあるまい。舞台設定がエキセントリックで面白いだけに、なおさらその点が惜しまれる。

金春屋ゴメス金春屋ゴメス
西條奈加

単行本, 集英社, 2005/11

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