2009年02月11日

女神記 / 桐野夏生 [書評]

女神記女神記
桐野夏生

単行本, 角川グループパブリッシング, 2008/11/29

 世界各地の神話をいまに語りなおそうという「新・世界の神話」プロジェクトに、いよいよ日本の神話が登場した。シリーズの執筆陣に名を連ねている、マーガレット・アトウッド、デイヴィッド・グロスマン、オルハン・パムクといった海外の錚々たる現代作家に伍して、世界に向けて新たな日本の神話を紡ぎだす我が国の語り部は、人気と実力を兼ね備えた当代屈指のストーリーテラー、桐野夏生である。

 古事記に伝えられる日本神話では、イザナキとイザナミとが目合(まぐわ)い、日本の国土とさまざまな神々を産み出す。けれどイザナミは、火の神カグツチを産んだ際に負った火傷がもとで死んでしまう。イザナキは悲しみに打ちひしがれ、イザナミを連れ戻そうと黄泉(よみ)の国におもむくが、その変わり果てた姿を見ると、恐れおののいて地上に逃げかえり、黄泉の国と現世とをつなぐ黄泉比良坂(よもつひらさか)を大岩で塞いでしまう。冥界に閉じ込められたイザナミが、「おまえの国の人間を一日に千人殺してやる」と呪いの言葉を投げつけると、イザナキは「ならば私は一日に千五百の産屋を建てよう」と云い返し、両者は決別する。『女神記』は、こうして神話の表舞台を去り、黄泉の国の女神となったイザナミの物語である。

 物語の語り手は、ヤマトの南、多島海の小島に暮らす娘、ナミマ。巫女の家系に生まれたナミマは、島の掟によって、祭祀を司る大巫女を継ぐ姉とは対照的に、墓守たる陰の巫女となるべく定められている。しかしその日が訪れ、自らの運命を知らされたとき、ナミマはすでに禁忌を破り、村八分にされた家の息子マヒトの子を身籠っていた。

 ナミマは、マヒトと二人、夜陰に乗じて小船で島を抜け出す。漂流を続け、やがて洋上にヤマトの島影が見えはじめた頃、船上で女の子を産む。しかし、新天地での幸せな生活を夢見たのも束の間、突然マヒトに首を絞められ、殺されてしまう。そうして海の藻屑となったナミマは、黄泉の国に辿り着き、イザナミにまみえる。

 黄泉の国の巫女として迎えられたナミマは、永遠に救われることのないイザナミの物語を語り始める。イザナミはその言葉どおり、毎日千人の人間を殺し続けている。とりわけ、イザナキと交わった女を執拗に追いかけては、くびり殺す。イザナミの心を占めているのは、むろん自分を裏切ったイザナキへの怨みである。かつて狂おしく愛しあったからこそ、憎しみはなおいっそう激しくイザナミの身を焦がし続ける。
 こうして黄泉の国に追いやられた私が、一日千人の死者を決めるとすっきりはするけれども、またあの人を思い出して、どうにも行き場のない憎悪の気持ちが湧いてきて苦しくなる。(中略)ナミマ、一番始末に悪い感情は何か知ってるかい? そうだ、憎しみなのだ。憎しみを持ったが最後、憎しみの熾火(おきび)が消えるのを待つしか、安寧は訪れない。が、それはいったいいつのことやら。私はイザナキによって、こんな地下の冷たい墓穴に押し込められてしまったのだから、ここにいる限り、憎しみの火は消えないのだ。
 黄泉の国は、この世に怨みや思いを残して死んだ、行き場のない魂のおもむく場所である。ナミマもまた現世に、夫への怨みと娘への思いを残している。ナミマはイザナミの許しを得て、蜂に姿を変え、ひそかに夫と娘の消息を追う。しかしそれは、案に反し、自分がイザナミに仕える巫女に相応しい存在であることを確かめるための、ナミマが自らに課した辛苦にほかならないのだった……。

 桐野は、人間の心にどす黒く渦巻く暗闇と正面から向き合い、それをわしづかみにして読者の眼前に差し出す。憎しみからは何も生まれない、と人は云う。確かにそのとおりかもしれない。しかし人間は、決して何かを得ようとして、怨み、妬み、憎むのではない。果てしない憎しみの業火の中を突き進んでいった先には、いったい何があるのか、あるいは、ないのか。物語は思いも寄らない展開をみせるが、桐野は安易な救いなどいっさい提示したりはせず、怒りと憎しみの行き着く先をどこまでも追い求めてゆく。物語の鬼神が描くもう一つの日本神話の行く末を、ぜひそれぞれの読者自身の目で確かめてほしい。

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