2006年02月15日

だから山谷はやめられねぇ-「僕」が日雇い労働者だった180日 / 塚田努 [書評]

だから山谷はやめられねぇ-「僕」が日雇い労働者だった180日だから山谷はやめられねぇ-「僕」が日雇い労働者だった180日
塚田努

単行本, 幻冬舎, 2005/12

 ごく平凡な大学生活を送っていた著者は、卒業を控え、自分のやりたいこともはっきりしないまま企業に就職してしまうことに漠然と疑問を感じていた。そんな頃、彼はふとしたきっかけで日雇い労働者たちの生き方に興味を抱いた。社会のレールをはずれて生きる彼らは、日々何を思い、どう暮らしているのか。それを知ることで自らの将来についての疑問に何かしら答えが得られるかもしれないと考えた著者は、就職活動を放棄し、山谷のドヤ街に身を投じ、労働者たちと同じ生活を始める。本書は、その著者がドヤ街の男たちと寝食を共にした180日間の奮闘ぶりを綴ったノンフィクションである。

 その内容は、綿密な取材によって日雇い労働者の実態を描いたドキュメンタリーというのでなく、著者がじかに体験することによって知り得たことを記し、それを通して彼自身が考えたことを綴った、一人の若者の手記である。しかしそれゆえに、ドヤ街や飯場でその日その日を生きる男たちの生活が、彼らの体臭がにおってきそうなほど生々しく描かれており、また、著者自身の働くことに対する疑問や葛藤が率直に語られている。

 著者は、日雇い労働者たちに混じって、山谷のドヤ(簡易宿泊施設)に寝泊りして寄せ場で職を得たり、飯場で住み込みの仕事に就いたりして、彼らとまったく同じ生活を送る。そして彼らの生活をつぶさに観察し、彼らの生き様を我が身に置き換えて考えてみる。著者は次第に日雇い労働者たちの仕事や生活に馴染み、多くの場面で彼らへの理解や共感を覚えるようになる。

 とはいえ、労働者たちは「あちら側」の人間で、自分は「こちら側」の人間である。著者にはそういう意識をどうしても拭い去ることができない。彼はそんなどちらともつかない宙ぶらりんな状態にいて、「あちら側」に足を踏み入れながらも、あくまで「こちら側」からそれを眺めている。そのことが文章のあちらこちらから窺えるし、また著者自身、そのことに気付いては思い悩んでいる様子が、しばしば綴られている。

 しかし、それはとても正直な述懐だと云えるだろう。そしてそれは、多くの一般読者の視点でもあるはずである。我々の多くは、窮屈な社会で、人間関係や企業の論理などに閉塞感を覚えたりしながらも、どうにかそこに居場所を得、暮らしている。実際に一線を踏み越えてしまう蛮勇はないにせよ、誰もが一度や二度は、何ものにも束縛されないドヤ街の男たちの生き方を、ふとうらやましいと感じたことがあるだろう。著者の出発点はまさにそれなのである。

 働くことの意味を探して右往左往した一人の若者の放浪記。もっともそれは、あくまで大学に籍を置いたうえでの「社会見学」あるいは「体験学習」にすぎず、彼自身、本気で日雇い労働者になろうなどとは、おそらく一度も考えてはいない。結局最後には、「ちょっと変わった経験を持つ」まっとうな社会人として、企業に就職するのである。正直に云って、著者のそうした姿勢にはどこか狡猾な印象を受けるし、「これをネタに一本書いてやろう」という下心も、本書のそこかしこに透けて見える。そもそも著者の述懐自体がステレオタイプで青臭い。が、その分だけ、この手記は現代の(普通の)若者の等身大の姿を映していると云うこともできるだろう。彼の姿を自分自身に重ね合わせて読む同世代の読者もきっと多いに違いない。彼の不器用な取材(?)方法や初々しい文章には、手馴れたライターの書くノンフィクションとはまた違った面白さと親しみやすさがある。ちなみに著者の塚田努は、この作品によって『デビューを果たし』たそうである。

だから山谷はやめられねぇ-「僕」が日雇い労働者だった180日だから山谷はやめられねぇ-「僕」が日雇い労働者だった180日
塚田努

文庫本, 幻冬舎, 2008/12


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○キリカ is simple life○ at 2006-03-17 23:22

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