2006年03月12日

告白 / 町田康 [書評]

告白告白
町田康
単行本, 中央公論新社, 2005/03/25

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 時代は明治。河内の百姓の倅として生まれた主人公熊太郎は、ひどく思弁的でありながら、その思弁を伝える言葉を持たず、それがために周囲とうまく交わることができない。思考と言動とが直結している他者が軽薄な人間に見え、奴らには自分のように内面で深い思慮を重ねている人間のことは理解できないだろうと思っている。いきおい熊太郎の思弁は内向し、身体の中で暴れ出し、自身を蝕み、あげく愚行となって表出する。それによって熊太郎はますます孤立を深め、やがて彼は、河内音頭にも唄われる「河内十人斬り」の惨劇へと向かってゆく。

 どこで聞いた話だったか、作家のもとに寄せられる読者からの手紙やメールには、「あれは私のことですね。どうして私のことをそんなによく知っているんですか?」とか「私に黙って勝手に私のことを書くなんてひどいじゃないですか」とかいうのがたまにあるという。また、そこまで重症ではなくとも、「私と主人公とにはこれこれこういう共通点があるので、私には主人公の気持ちがよくわかります」という自意識過剰な読書感想文は珍しくない。そういうのを見るたびに鼻白んでしまうのは、ひとり佐吉だけではあるまい。

 しかし、ことこの作品については、佐吉もそんなことを云ってみたい衝動に駆られてしまう。佐吉はこの熊太郎に強く共感を覚えた。まるで自分のことのようだとさえ思った。そしてそれは、この作品においては必然的に、他の連中にこの気持ちはわかるまいと思ったということでもある。然るに、この作品は多くの人々から絶賛され、かの谷崎潤一郎賞さえ受賞している。そうして少なからぬ読者がこの作品に理解や共感を示したということは、彼らもやはり熊太郎のような自意識や、内面と外面との齟齬あるいは葛藤を心の内に抱えているということに他ならない。そのことに思い至って佐吉は思わずたじろぐ。

 熊太郎は、そんな性向の持ち主でありながら、それでも世界と関わろうとし続ける。しかし彼の悲劇はまさにそこにある。熊太郎が他者と交わろうとして繰り出す言葉は、決して彼の思弁を解放することはなく、むしろ語れば語るほど、彼自身を世界から隔絶させてしまう。

 また熊太郎は心のどこかで「社会には社会正義というものがある」と信じ、その「正義」が自らの「正義」を保証してくれると信じている。しかしそれさえも幻想に過ぎなかったと知った熊太郎は、それを前提に無茶苦茶をしていた自分の「餓鬼同然」の間抜けぶりに気付き、慄然とする。そしてそのことが最後の惨劇、すなわち彼自身の破滅の引き金となる。

 もちろん、そうした熊太郎の言動を、なんて馬鹿な奴だ、なんて駄目な奴だと突き放して見る人もあるだろう。が一方で、それこそ自らの心をえぐる思いでこの作品を読んだ人もいるに違いない。熊太郎は決して特殊な存在ではない。おそらくあらゆる時代、あらゆる場所、あらゆる社会、そして程度の差こそあれあらゆる人々の心の内に、彼と同じ意識は遍在するだろう。それだけに、物語の最後、すべての虚飾や欺瞞を捨て、「本当の本当の本当のところの自分の思いを自分の心の奥底に」探った熊太郎がそこに見た光景はなんともやるせない。

 この作品は、熊太郎という一人の男の内面を、執拗に克明に描くことによって、人が自ら自分と世界とを断絶させ孤独に陥ってゆく様を見事に伝える言葉となった。この作品は読者になんら救いを提示することはしないが、あるいはこの作品の存在自体が、ひとつの救いとなり得るのかもしれない。

告白告白
町田康
文庫本, 中央公論新社, 2008/02

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