2006年04月09日

しずかに流れるみどりの川 / ユベール・マンガレリ [書評]

しずかに流れるみどりの川しずかに流れるみどりの川
ユベール・マンガレリ / Hubert Mingarelli
田久保麻理

単行本, 白水社, 2005/06/28

 邦訳としては『おわりの雪』に続いて二冊目になるが、この作品は、児童文学作家としてデビューしたマンガレリの初めての一般向け長編小説である。そっとつぶやくような文体で、繊細な少年の哀しみや孤独を、一つの風景のように描いた『おわりの雪』と同様、この『しずかに流れるみどりの川』も、一歩ずつ大人へ近づいてゆく少年の内に広がる世界を、もの静かに、しかし瑞々しく描いた印象的な作品である。

 見渡す限りどこまでも広がる深い草はら。主人公の少年プリモは、その草原に囲まれた小さな町に、父と二人で暮らしている。父親は町のコンプレッサー工場を解雇され、以来定職に就けず、近所の家の庭の草むしりや芝刈りをして糊口を凌いでいる。電気も止められてしまうほどの貧しい生活の中、父子は裏庭に自生する「つるばら」を栽培し、それでひと儲けすることに希望をつないでいる。不揃いな百個の空きびんに「つるばら」の種を植え、毎日丁寧にその世話をする父と子。少年にとって「つるばら」は神からの贈り物である。二人は祈りを捧げるような厳粛さをもってその作業を繰り返す。

 草むらにはプリモが何度も草を踏みしめて作った長いトンネルがあり、彼は時間を見つけてはそこをひたすら歩く。トンネルに射し込む太陽の光、風が草の穂先をなでる音、雨あがりの朝、無数にこぼれる雨だれと空へのぼってゆく水蒸気。そこは、少年が周囲の世界を感じ、様々なことを考え、空想に耽る場所である。しかしプリモが最も惹かれる空想の中の風景は、父とかつて暮らしていた町に「しずかに流れるみどりの川」である。プリモは「つるばら」を売って得たお金で何を買おうかと夢想していてさえ、最後にはそこに辿り着いてしまう。彼にとってのその川は、父子が幸福であった頃を象徴し、彼がいつかそこに辿り着きたいと願っている、記憶の中の原風景なのである。

 プリモはそれを父親とも共有したいと願い、その川を覚えているかと父親に尋ねる。そして父もまた、息子の願いを叶えようと自分の記憶を掘り起こす。しかし、父の記憶の中の風景とプリモの思い描く風景とは微妙に食い違い、二人はどうしてもその風景を共有することができない。その様子が、ちょっとユーモラスな、見ようによってはどこか洒落た二人のやりとりによって表される。少年のやりきれない哀しみが、微かなアイロニーを伴って行間ににじんでくる。

 二人の思い描く風景の違いは、大人と子供の世界の違いを象徴するものでもある。プリモは、子供だからこそ感じ取ることのできる世界と、不器用ながらも図太く生きる父の姿に見る、あるいはその父の視線を通して垣間見る大人の世界との間で、絶えず揺れ動いている。プリモはそうした大人と子供の世界の違いに遭遇し、ときに反発し、ときに妥協し、またときに傷付きながらもそれを受け容れていく。マンガレリは、少年の、その年代であるがゆえの繊細な心の揺らぎを、簡潔で静謐な文章によって鮮やかに浮かびあがらせる。

 貧しい父子の生活を描いていながら、そこに陰鬱さや惨めさは感じられない。父子のほろ苦くもユーモラスなやりとりのせいか、あるいは少年の小さなものに向けるまなざしのやさしさがゆえか、むしろそうした暗がりをほのかに照らす灯りのようなものが、強く印象に残る。そのやわらかく暖かい光は、それぞれの読者の心をも、きっとやさしく照らしてくれるだろう。

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忍者大好きいななさむ書房 at 2009-06-23 02:46

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