![]() | バレンタイン−短編集 柴田元幸 単行本, 新書館, 2006/06/01 |
あの翻訳家柴田元幸がついに小説を出した! というので早速読んでみる。タイトルは『バレンタイン』。
短編集という触れ込みだが、実際には雑誌『大航海』に連載されていたエッセイをメインに、柴田が彼自身について書いた短文を集めた小品集である。これをエッセイと呼ぶべきか小説と呼ぶべきかは迷うところだし、また敢えてそんなことにこだわる必要もないようにも思えるが、強いて云うなら、純粋な小説というより小説仕立てのエッセイといったところだろうか。
生まれた街を歩いていた彼が少年の頃の自分に出くわす表題作『バレンタイン』。これもやはり今の自分が、イギリス留学時代の自分を眺めながら、ありえたかもしれない人生を夢想する『ケンブリッジ・サーカス』。あるいは、奥さんをロボットに見たてた『妻を直す』や、小雨の中、ゲートボールに興じる老人に、自分の両親を重ねてみる『ゲートボール』など、現在と過去、現実と幻想とが入り混じった奇妙な世界を描いた作品が、全部で14編収められている。
エッセイとも小説ともつかない体で描かれた、現(うつつ)とも幻とも云い切れない不思議な世界。読んでいると、どこか他人の夢の中をのぞいてるような気分になってくる。
と書くと、柴田ファンの方はぴんとくるかもしれない、これは柴田が(彼自身が訳した)バリー・ユアグローの作品を評して云った云い方である。この短編集はユアグローの作品によく似ている。さすがに模倣とまでは云わないが、柴田にユアグローの作品にインスパイアされるところがあったことは想像に難くない。
一つひとつの作品に、その長さから想像する以上の読み応えがある。ただ、読み進めるにつれ、そうしたからくりに慣れてきて、こちらに「ふん、そのくらいじゃ驚かないぞ」という気持ちが湧いてくる所為か、やや中だるみを感じるところもないではない。が、全体的にはやはり面白く、短編集と呼ぶに相応しい充実した読後感が得られる。
以前、英米文学の批評家新元良一のインタビューに応えて「僕には小説にして伝えたいことなんてありません」とうそぶいていた(『翻訳文学ブックカフェ』)柴田。これだけ読み応えのある作品で千円(税別)という良心的な価格は、そんな彼の「小説なんて面映い」という気持ちの表れか、などと邪推してみたりもする。が、ともかく、とても良い買い物であったことは間違いない。
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