2007年03月27日

空中スキップ / ジュディ・バドニッツ [書評]

空中スキップ空中スキップ
ジュディ・バドニッツ / Judy Budnitz
岸本佐知子

単行本, マガジンハウス, 2007/02/22

 読者にとっての訳者は、多くの場合黒子である。しかしときに、むしろ訳者によって世に知られる翻訳作品もある。たとえば、日本ではほとんど無名の作家の作品でも、それが柴田元幸や金原瑞人の訳書と聞けば、にわかに興味をそそられる人も少なくないだろう。翻訳家は、訳者であると同時に、その作品の紹介者でもある。多くの読者が、そんなふうに柴田や金原が「選んだ」作品として、しばしば彼らの訳書を手に取るのである。

 そして岸本佐知子もまた、そんな読者が訳者に惹かれて本を手にする翻訳家の一人である。岸本の訳書には、一風変わった作家の作品ばかりが並んでいる。ニコルソン・ベイカー、ジャネット・ウィンターソン、トム・ジョーンズ、スティーヴン・ミルハウザー、リディア・デイヴィス……。しかも彼らは、決して奇を衒っているのでなく、彼ら自身が持つ「何か」ゆえに、風変わりな作品を書かざるをえない作家たちなのである。

 その岸本の最新の訳書となる本書は、本作に続く長編『イースターエッグに降る雪』でオレンジ賞の最終候補となり、2005年発表の短編集 "Nice Big American Baby" に収められた短編 "Flush" でO・ヘンリー賞を受賞したジュディ・バドニッツが、ニューヨーク大学創作科在籍中の1998年に発表した処女短編集である。

 バドニッツの描く世界も、期待にたがわず(?)実に奇妙だ。現実と妄想との境界が曖昧という言い方はよく耳にするが、彼女の奔放な想像力が産みだす世界はそんなものではない。バドニッツの世界に足を踏み入れると、見慣れた風景の中にいながら、同時に見知らぬほかの星にでもいるような、なんとも不思議な感覚に包まれる。そこで目にする光景は、どれもがありふれた日常の一場面のようでありながら、ちょっとずつ何かが違う。そこには何ひとつ確実なものはなく、何が現実で何が妄想なのかさえ判然としない。いや、そもそもそうした問いかけ自体が無意味なことのように思えてくる。
 みんな黙っているけど、家の中に百ポンドの赤ん坊がいる。
 ぼくにはそいつの動きまわる音が聞こえる。まだ赤ん坊だから、ちゃんと歩けない。お腹をリノリウムの床にすりつけて、はいはいしている。ずずずず。ずずずず。
『百ポンドの赤ん坊』より
 毎日玄関先にやってくる犬の着ぐるみを着た男、アメリカで最も平均的な男の特異な日々、黙々と生地をこねる赤ん坊職人……。本書に収められた23の物語は実に多彩で、決して読者を飽きさせない。そしてそのどれもがシュールなブラックユーモアにあふれている。あるいはそれを、誰かの夢の中をのぞいているような、と形容することもできるかもしれない。しかしバドニッツの作品には、破天荒な奇妙奇天烈さだけでなく、同時にそれを一歩退いた場所から眺め、自身、その奇妙さを慈しんでいるかのような穏やかな視線が感じられる。どの作品にも安易な救いなどは一切提示されないが、そこに感じるやるせなさは、なぜか心地良い。

 訳者あとがきによれば、原題の "Flying leap" は「飛びながら跳ぶ」とでもいった意味だそうだが、それを『空中スキップ』と訳すあたりはいかにも岸本さんらしい。一見なんでもない光景のようでありながら、思い描こうとするとうまく想像できない。なのに、それでいいのかもしれないと思えてしまう。ともあれこうしてまた、キシモト印の作家が一人、佐吉の、そして多くの日本人読者の記憶に刻まれるのである。

Flying LeapFlying Leap
Judy Budnitz

ペーパーバック, Flamingo, 2000/12/04

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この記事へのコメント

はじめまして。
とても読みやすい書評で、楽しく拝読いたしました。

さまざまな手法を取り入れた作品集ですが、三人称の穏やかな語り口より、一人称の方がバドニッツの個性が出ているように感じました。

Posted by ぐら at 2007年06月03日 01:12
はじめまして。コメントどうもありがとうございます。

上にも書いたとおり、岸本佐知子氏の訳書にはちょっと「ヘン」な作家の作品が多く、彼女自身、そのエッセイの中でそうした作家に惹かれると語っています。そんなこともあって、私ははじめからその「ヘン」さ加減に期待しつつ読んだのですが、『空中スキップ』はいい意味でその期待を裏切ってくれる作品でした。

ちなみに、上で「その奇妙さを慈しむような穏やかな視線が感じられる」と書いたは、それぞれの短編における人称や視点ということではなく、バドニッツの作品には、その妄想の破天荒さだけでなく、同時にそれを一歩ひいた場所から冷静に見つめ、その奇天烈さをきちんと認識したうえで、敢えてそれを肯定しているような、云わば醒めた視線も感じられる、ということを伝えたかったからなのですが、読み返してみると、その辺はあまり上手く云えていませんね。あらためてそのことに気付きました。

そんなわけで、上の文、ちょっと加筆しました。反省しきりです(汗)。

Posted by 佐吉 at 2007年06月04日 00:03
ああ、分かります。
作者が盛り上がっているだけだと読み手は引いてしまうけど、冷静だから奇妙な世界にもすっと入り込むことができるのだと思います。

「投稿失敗しました」というエラーメッセージが出たのですが、無事にコメント送れたみたいでよかったです。

Posted by ぐら at 2007年06月04日 20:55

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『空中スキップ』 ジュディ・バドニッツ
はじける空想 ★★★★☆ 本書をかなり前に読み終えていたのだが、書評がまとまらずだらだらしていたらあっという間に日が経ってしまった。忘れているところもあるので、再読。 本書には、23の作品..

本虫のふん at 2007-06-03 01:05

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