2007年05月30日

御書物同心日記 / 出久根達郎 [読書日記]

御書物同心日記御書物同心日記
出久根達郎

文庫本, 講談社, 2002/12

 先日イーブックオフに注文した古本の小包が届いた。いそいそと開梱し、中身を取り出す。するとその中の1冊から、はらりと白い紙片が落ちた。

 形と大きさから察するに栞だろう。古本にかつての所有者の栞や栞代わりの紙片が挟まっていることは珍しくない。たまにちょっと面白いものが入っていることもある。たとえばこのあいだ近所のブックオフで買った伊藤比呂美『日本の霊異(フシギ)な話』には、竹久夢二伊香保記念館の入場券の半券が挟まれていたし、同じく金田一春彦『日本語を反省してみませんか』には、おそらく幼稚園児か小学校低学年の子供が工作の時間に作ったものだろう、押し花をピンクの画用紙と透明のプラスチック板で挟んだ、手作りの栞が残っていた。

 普段なら古本については値段と状態以外はおよそ気にかけない佐吉だが、それでもそんなのを見ると、ついあれこれ想像してしまう。かつてこの本をどういう人が読み(あるいは読みさし)、どういう理由で手放したんだろう、ひょっとしてこの栞は、その人にとって大切な思い出の品なんじゃないだろうか、もしかすると、その人はこれを失くしたことを気に病んでいるかもしれない……。

 しかしその紙片は、そんな乙女チックな夢想とはまるで無縁なものだった。裏返してみるとそこには、無機質な書体でこんな慇懃な文言が印刷されていた。
サービス品(無償品)

ご注文いただいたこの商品ですが、一部、品質の不良が見つかりました。あいにく良品の代替品がご用意できないため、誠に勝手ながら、代金無償のサービス品として同梱させていただきます。今後はよりいっそうの商品管理に努めて参りますので、何卒、引き続きご愛顧賜りますようお願い申し上げます。
 その「商品」というのは、出久根達郎『続 御書物同心日記』。文庫本である。

 出久根は平成5年に『佃島ふたり書房』で直木賞を受賞した作家である。昨年暮れには自伝的長編小説『逢わばや見ばや』の完結編を上梓している。同時に彼は古書店の店主でもあり、その身辺や古書に関する薀蓄を語ったエッセイにも面白いものが多い。

 『御書物同心日記』は、将軍家の御文庫に勤める新米同心の奮闘ぶりを描いた、シリーズものの連作短編集である。ちょっとした「?」や「!」はあるものの、決してミステリー仕立てではなく、かと云って泣かせる人情噺というのでもない。主人公もとりわけ個性的というわけではないが、綿密な時代考証をもとに、御書物奉行や同心、また古本屋の主人など、時代小説の世界でもあまり馴染みのない人々の日常と、そうした場ならでは出来事をユーモラスに描いていて、面白い。

 然るに、この本のどこにそんな「品質の不良」があるのだろう。見れば外観にはそれらしい焼けも汚れも折り目も破れもない。さては中に書き込みが……とページをめくってみれば、それもない。というよりろくに読まれた形跡がない。そのまま新刊書店の棚に並んでいても不思議のない、いわゆる「ほぼ新品」である。はて?

 と首を傾げたところで気がついた。本の中ほど20ページ分くらいが、一度水にぬれたらしく、わずかに波打っているのである。なるほど、これが「品質の不良」か。

 とは云うものの、そのしわもさしてひどいものではない。また何かの染みが残っているというわけでもない。ついでながら匂いもしない。たしかに何の説明も詫びもなく、すました顔でそれが箱に収まっていたら、多少は腹が立ったかもしれないが、過去にもっと状態の悪い古本を買った(または掴まされた)ことはいくらでもある。佐吉には、それが致命的な「品質の不良」であるとは思えなかった。少なくとも「金返せ!」と云うほどのものではない。それをただでくれるというのだから、むしろらっきぃではないか。同梱されていた明細書を見ると、なるほど『続 御書物同心日記』の分378円が帳消しになっていた。

 それにしても、ブックオフの商品価値の判断は独特だ。あらためてそう思う。佐吉にしてみれば、その程度のしわなどより、以前の所有者の書き込みのほうがずっと気になる。佐吉には本を売るという習慣がなく、自分の本にはしばしば傍線を引く。だから、書き込みがいけないなどと云うつもりはない。が、それでもやはり古本に他人の書き込みがあるのを見ると興が削がれる。不思議なことに、他人の傍線は決まって、「どうしてここに?」と思うようなところに引かれている。

 しかしブックオフは、そうした傍線や書き込みはまったく問題視していないらしく、一方でわずかなしわが「品質の不良」になるのである。そりゃまあたしかに、それが「ある種の液体」でぬれたものだったら、佐吉だってただでもいらないが……。

 ついでだから話しておくと、岡崎武志『読書の腕前』によれば、ブックオフが古本の買取り価格の判断材料にするのは、その本の定価と見た目のきれいさだけで、書名はまったく見ていないのだという。さらに余談になるが、それゆえ、見る人が見れば結構な値段のつけられる稀覯本が、他の駄本と一緒に105円で売られていたり、それでも売れずに廃棄されたりすることもあるそうだ。そしてさらに、それがため、目利きの古本屋たちは、定期的に近隣のブックオフを「パトロール」しているのだとか。佐吉はなんとなしに、世俗からかけ離れたのんびりしたイメージを抱いていたが、案外生き馬の目を抜くような世界なのだ、古本業界も。

 『御書物同心日記』を読んでいると、しょっちゅう知らない言葉に出くわす。矢来、懇望、題簽、膝行、奇貨、嗣子、宿痾、葷酒山門に入るを許さず……。もちろん他の小説でもそういうことはしばしばなのだが、大抵はそのまま読み飛ばしてしまい、あとで辞書で調べよう、とそのときは思っても、実際にそうした試しはほとんどない。しかし『御書物同心日記』にはそれがあまりにも多いので、今回ばかりは知らない言葉が出てくるたびに付箋を貼り、それを辞書で調べると同時に数えてみた。付箋の数は実に54枚に及んだ。そうしてみるとこの本は、日本語の語彙を増やしたい向きにもおすすめの1冊かもしれない。

 なお、これと同時に、やはり出久根の『本のお口よごしですが』も届いた。古書をめぐる珍談奇談を集めた平成3年のエッセイである。1編が800字程度と短く、コラムのようでもある。これもやはり面白い。一気に読んでしまうのがもったいないので、雑事の合間合間にちょっとずつ読むことにした。ちなみにこちらには、あまり難しい言葉は出てこない。

続 御書物同心日記続 御書物同心日記
出久根達郎

文庫本, 講談社, 2004/02
本のお口よごしですが本のお口よごしですが
出久根達郎

文庫本, 講談社, 1994/07

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