2007年06月28日

古本綺譚 / 出久根達郎 [読書日記]

古本綺譚古本綺譚
出久根達郎

文庫本, 中央公論社, 1990/03

 出久根達郎の『古本綺譚』を読む。愛書家や古本屋たちを主人公に、古本をめぐる風変わりな物語を描いた、当時古書店の店主でもあった著者ならではの短編集である。

 中に『狂聖・芦原将軍探索行』という中編がある。芦原将軍は、1852年(嘉永5年)、金沢に生まれ、本名を芦原(葦原、あるいは蘆原とも)金次郎という。元は櫛職人だったが、24歳で誇大妄想症(精神分裂症)を発症し、以来88歳で世を去るまでの生涯を精神病院で過ごした風狂の人である。金次郎は将軍、あるいは天皇を名乗り、手製の軍服を着て、公然と政府や軍を批判し、勅令や勅語を発しては、それを、彼を訪ねる人々に売りつけた。時あたかも、日清・日露戦争を経て、日本が太平洋戦争へと突き進んでいた時代だった。

 しかし、将軍は時事問題に精通し、その批判は毎度毎度、実に的を射たものだった。元より狂人の発言だけに、誰にも遠慮会釈のない歯に衣着せぬ意見だった。それに目をつけたマスコミは、こぞって将軍の話題を取り上げた。もちろん言論の自由などない時代の話である。つまり彼らは、狂人の発言にかこつけて権力批判をしていたのである。そして民衆もまた将軍の言葉に溜飲を下げた。将軍の人気はいやがうえにも高まっていき、記者たちはネタに詰まるたびに将軍を訪ねた。かくして将軍は時代の寵児に祭り上げられていった。

 『狂聖・芦原将軍探索行』は、主人公である古本屋の主人が、偶然芦原将軍の「詔勅」を入手したことをきっかけに、その謎の人物像に迫っていくという話なのだが、さまざまな珍書・奇書、そしてそれらの背景にある往時のエキセントリックな世界に造詣の深い出久根だけに、考証も綿密で、一種ルポルタージュを読んでいるような面白さがある。

 もっとも、この本を読んだ時点で、佐吉は芦原将軍のことなどつゆほども知らず、考証は緻密で話もとてもリアルだが、将軍自体はあくまで出久根の創作だろうと思っていた。だから、あとで彼が実在の人物だったと知って驚いた。

 ネットで調べてみると、出久根の描いた将軍像には、やはり一部創作も混じっていたが、実際の将軍については、種村季弘の著作に詳しい記述があるらしい。いずれ入手して読んでみるつもりだ。また筒井康隆は、彼をモデルに『将軍が目醒めた時』という小説を……え? 『将軍が目醒めた時』? オレ、それ持ってんじゃん!

 そのタイトルを目にした瞬間、遠い昔の記憶がよみがえってきた。佐吉は 『将軍が目醒めた時』を持っている。買ったのは高校生の頃だ。しかし今に至るも読んでいない。実は、それについてはちょっと嫌な記憶がまとわりついているのである。以下、話はがらりと変わるが、佐吉にとって一種のトラウマともいうべきその体験を、ここに告白しよう。

 その頃、佐吉は筒井康隆を愛読していた。『時をかける少女』、『家族八景』、『七瀬ふたたび』……。佐吉はとりわけ読書好きな高校生というわけではなかったが、当時すでに多くの筒井作品がドラマ化・映画化されており、筒井康隆は、ほとんど文学に縁のない高校生でもその名を知っている、数少ない作家のひとりだったのである。

 あるとき、筒井の文庫本を何冊かまとめて買ったことがあった。『将軍が目醒めた時』もその中の1冊だった。が、佐吉はそれより先に、同時に買った『農協月へ行く』を読んだ。『農協月へ行く』は、ブラックユーモアに満ちた筒井作品の中でもとりわけ毒気が強く、現在では中期の傑作とも目されている短編集である。

 その中に『村井長庵』という作品がある。村井長庵とは、もともと歌舞伎『勧善懲悪覗機関(かんぜんちょうあくのぞきからくり)』に登場する冷酷非道な医者の役名であり、のちに悪徳医師の代名詞として人口に膾炙した名前である。

 本土で悪事の限りをつくした長庵は、追っ手を逃れ、小さな島へ渡る。彼の素性などつゆ知らぬ島民は、ありがたいお医者さまと、下にもおかぬ歓待ぶり。長庵もほとぼりが冷めるまではと、しばらく鳴りを潜めていたが、あるとき欲求不満から奇行に走る未亡人を、自身の身体で「治療」したことに味をしめ、「治療」と称して島の女を手当たり次第に犯しはじめる。

 けれど島民は、島で唯一の医者である長庵に手が出せない。やがて島中の女が妊娠してしまい、「治療」できる女がいなくなると、長庵は寝たきりの老婆を犯し、幼女を犯し、果ては生まれたばかりの女の赤ん坊をも手にかける。と云っても、もちろん赤ん坊にそんなことができるはずもない。長庵は親から無理矢理赤ん坊を奪い取ると、その両足を掴み、股間に自らの陰茎を押し当て、そのまま女児の身体を真っ二つに引き裂いてしまうのである。

 高校生の佐吉にとって、それはあまりにもショッキングな描写だった(いまだに空であらすじが書けるのもそのためだ)。途端に、その本自体がなにかとてもおぞましいもののように思えてきた。翌朝、学校に向こう途中で、佐吉は駅のゴミ箱にそれを投げ捨てた。以来、佐吉は筒井康隆が読めなくなってしまったのだった。

 そうか、『将軍が目醒めた時』はそういう話だったのか。もし高校生の佐吉が、『農協月へ行く』より先にそれを読んでいたら、少なくとも芦原将軍については、そのときに知り得たかもしれなかったわけだ。これだけ奇矯な人物の話だ。そうすればあるいは、その後の佐吉の興味の対象の変遷も、違ったものになっていたかもしれない。あのとき、『農協月へ行く』を先に読もうと思ったのは、なぜだったろう……。

 『将軍が目醒めた時』は今でも実家にあるだろうか。いや、もともと文庫本だし、筒井康隆の作品なら簡単に古本が手に入るだろう。今度近所のブックオフを訪ねたときに探してみよう。『農協月へ行く』があれば、それも一緒に買い求めるつもりだ。すっかり薄汚れた中年になった今なら、佐吉はきっとさほどの抵抗もなく、それを読むことができるだろう(こうしてあらすじを書くことだってできるのだから)。

 20年もの間止まっていた時計が、そんなふうにしてまた動き出す。そういうのも、悪くないかもしれない……って、はて、何の話だったっけ?

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