2005年04月17日

萌え萌えジャパン 二兆円市場の萌える構造 / 堀田純司 [書評]

萌え萌えジャパン 二兆円市場の萌える構造萌え萌えジャパン 二兆円市場の萌える構造
堀田純司

単行本, 講談社, 2005/04/01

 市場規模2兆円とも云われるキャラクター・エンターテインメントの世界。その原動力の一つが、「大きなお友だち」が非現実の美少女キャラクターに寄せる恋情にも似た思い、「萌え」である。堀田はこのつかみどころのない感情を、さまざまな情報を欠落させて存在するキャラクターの、その不足分を想像力によって補う『情報の脳内補完』と定義する。曰く、
キャラクターは人の心が生み出した存在であり、人の本能により忠実である。それゆえに現実の人物にはありえない魅力を放つ。キャラクターの現実を超えた魅力に打たれた人は、いても立ってもいられなくなり、そのキャラクターを欲するが、しかしキャラクターそのものに到達することは絶対にできない。このように虚構と実在との狭間、想像と現実の境界で自覚的にたゆたう行為こそが「萌え」であり、萌えることの楽しさなのである
と。

 その上で堀田は、メイドカフェ、抱き枕、等身大フィギュア、アイドル、美少女ゲーム、声優など「萌え」文化のさまざまな様相にスポットを当て、それぞれのコアなファンへの取材や送り手側へのロングインタビューを通して、キャラクター・ビジネスの業態やファンとの関係など、「萌え」の現場を浮き彫りにしてゆく。

 90年代にその端緒を開き、今や高度に深化、多様化した「萌え」の世界。それだけに、個々の側面について云えば、堀田以上にコアな知識を有するファンも多いだろう。また、本書に述べられているとおり、「萌え」の本質が『情報の脳内補完』であるとすれば、それはそれぞれにとって個別的、具体的な心理作用であるはずだから、あるいは本書の記述に部分的に納得のいかないファンもいるのではないかと想像できる。が、そのようなコアな読者でさえ、「萌え」の全体像を把握することは難しいに違いない。本書は「萌え」文化を当事者の視点から観察すると同時に、客観的な事実としてそれを俯瞰し、「萌え」を歴史的、社会的に位置づけようと試みる。まず一つにそうした意味で、本書はとてもユニークで有意義な存在であると云えるだろう。

 先の引用にもあるとおり、オタクと呼ばれる人びとの典型的特徴の一つに、自覚的であるということが挙げられる。彼らには、周囲の冷たい視線を承知した上で「こんなのが好きなオレ」をエンターテインメントとして燃焼するというメンタリティがある、と堀田は云う。そしてそのような意識は、この本自体にもしばしば見え隠れする。本書には、オタク以外の一般の人々の偏見を、ときにやや過剰とも思えるほど意識したところが窺えるのである。

 とは云え本書は、決して、開き直って「萌え」を一部のファンのみが理解し得るエキセントリックな感情として捉えようというものではない。『(偏見を抱きがちな一般の人々にも:引用者注) キャラクター表現分野での、ファンと作品との関係の面白さを伝えたい』と云うとおり、堀田はそうした彼我の違いを充分に意識した上で「萌え」という感情を説明すべく、古今東西の様々な例を引合いに出し、この「萌え」に相当する感情が、美少女キャラクターの登場以前から広く巷間に存在していたことを示す。そしてさらに、それを男子に普遍的に存在する感情ではないかと考察し、『初恋に似ている』と表現するのである。

 もっとも、この「初恋」もまた個々にとって具体的な体験であることを考えれば、それによって「萌え」という感情を普遍的に定義し得るのかという疑問も感じないではない。あるいは本書の云う『萌え属性』をまったく持たない読者は、本書の冒頭で掲げられている「なぜ萌えるのか」という問いかけに対して、疑問符をぶら下げたまま本書を読み終えることになるかもしれない。が、一方で、「萌え」という感情のつかみどころのなさは、それによって案外的確に云い表されているようにも思える。少なくとも筆者は、それでなるほどと思うところがあった。

 文中に登場する様々なオタク用語には、オタク以外の読者に配慮して、丁寧な注釈が付されている。萌え萌えなファンの方にはもちろん、そうでない読者にとってもわかりやすく、とても興味深く読める内容になっている。

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