2005年03月17日

増山たづ子 徳山村写真全記録 / 増山たづ子 [書評]

増山たづ子 徳山村写真全記録増山たづ子 徳山村写真全記録
増山たづ子

単行本, 影書房, 1997/07

 増山たづ子さんは、1917年(大正6年)、岐阜県徳山村(現揖斐川町)に生まれた。揖斐川の上流、岐阜と福井の県境に位置する山間の小さな村だ。たづ子さんは同じ村の増山徳次郎さんと結婚し、一女一男をもうけるが、のちに徳次郎さんは第二次大戦に出征し、戦地で行方不明となる。終戦後、行方不明者は戦死扱いとされたが、徳次郎さんの消息はようとして知れず、その遺骨がたづ子さんのもとへ戻ることはなかった。たづ子さんは徳山村で農業のかたわら民宿を営みながら、夫の帰りを信じ、待ち続けた。

 やがて、その小さな村がダムの底に沈むことが決まった。当時61歳のたづ子さんは、いつか帰ってくるであろう夫のため、徳山村の姿を残しておこうとカメラ屋に駆け込んだ。「イラ(私)でも写せる写真機を」と云うたづ子さんに店主が差し出したのは、折しも発売されたばかりのピッカリコニカだった。以来たづ子さんは、自然、人々、風習、行事、日々の暮らし……とにかくありとあらゆる村の光景をフィルムに収めていった。その数、実に7万枚に及ぶ。

 この写真集には、たづ子さんが初めて撮った昭和52年(1977年)の村民運動会の写真から、彼女が村を離れた後の写真まで約260点が収められている。そこに登場する村人たちはみな、なんとも云いようのない普段のありのままの笑顔を見せてくれる。そしてそれはたづ子さんだからこそ撮り得た笑顔でもある。寒村での暮らしは決して裕福なものではなかったろう。が、誰もがこの村とそこでの暮らしを愛していたことが痛いほどに伝わってくる。頁を繰っていくうちに、不思議と自分もかつてそこにいたような気がしてくる。そこに写っているのは、誰の心にもある日本の原風景なのかもしれない。「ただでさえ悲しいんだから、明るい写真しか撮らん」とたづ子さんは云う。確かにどれもが底抜けに明るく屈託のない笑顔だ。しかしそれだけに、深い哀しみが胸に迫ってくる。

 そしてついにダム建設が始まり、巨大な建設機械が次々と村に入ってくる。のどかで平和な村を象徴するかのような一本の桜の樹、折しも満開を迎えたその桜の樹を、パワーショベルが伐り倒そうとしている見開きの写真がある。断末魔の悲鳴をあげるかのごとく、あたり一面に花びらが舞っている。その写真を前にするたび、こみ上げていた気持ちが一気に噴き出し、我が身を切られるような痛みを感じて言葉を失う。

 村人が一軒また一軒と村を出てゆき、やがてたづ子さんも住み慣れた故郷を後にした。ダムは現在もなお建設中だが、その必要性を疑問視する声も多い。

 蛇足ながら、評者も写真撮影を趣味とする者の一人だが、この写真集は写真作品として見ても一枚一枚が実にクオリティが高い。もちろんたづ子さんは写真の勉強など一切しておらず、どれもがピッカリコニカで撮影された写真である。写真とは何なのかについて考えさせられる一冊でもある。

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