2005年03月15日

奇跡も語る者がいなければ / ジョン・マグレガー [書評]

奇跡も語る者がいなければ奇跡も語る者がいなければ
ジョン・マグレガー / Jon McGregor
真野泰

単行本, 新潮社, 2004/11/25

 誰にも永久に記憶にとどめておきたいと思う瞬間がある。いや、何も特別な瞬間でなくとも、日常のふとした出来事がとても大切なものに思えることがある。もちろんそれらは、世界に伝えられるわけでもなく歴史に残るわけでもない。それどころか、誰かに話しても一笑に付されるだけかもしれない。しかしそれでも本人にとって、そうした瞬間は疑いようもないほど確実に存在する。人はそれを何らかの意味を持つものと考えることができるし、また実際、そうなのかもしれない。

 イギリスの新鋭ジョン・マグレガーのデビュー作となるこの作品は、日常の何気ない一瞬一瞬が、それぞれにとってそれぞれの意味を持つかけがえのない瞬間であり得ること、この世界がそんな瞬間に満ち満ちていること、そして、それらがどこかで互いにつながっているかもしれないということを、みずみずしい筆致で描いている。

 イングランドのとある地方都市の小さな通り。三年前の夏の日、そこでショッキングな出来事があった。そのことが冒頭で示されるが、それが何だったのかは知らされないまま、そこに住む30人ほどの人びとにとってのその日と、住人の一人であった女の子の現在とが、詩的な文体で交互に綴られてゆく。

 住人のほとんどは、名前さえ与えられず、18番地のドライアイの男の子、19番地の双子の兄弟、20番地の老夫婦……という具合に呼ばれる。みな年齢も性別も職業も出自もさまざまな、普通の人びとである。その日、例の出来事以前に何ら特別な事件はない。特定の語り手さえおらず、目に見えない「天使」が彼らのまわりを飛びまわっているかのように視点が行き来し、やがてその出来事に対峙する住人たちの、平凡な、けれどそれぞれに異なる意味を持つ一日が、丁寧に描かれてゆく。特別ではない人びとの起伏の少ない日常の描写は、ともすれば退屈と思えるかもしれない。しかしそんな、なんでもない光景を眺めているうちに、気がつけば、誰でもなかった彼ら一人ひとりが、それぞれにユニークな存在として眼前に浮かんでいる。

 一方の三年後の女の子の物語は、対照的に彼女自身を語り手に、風変わりなラブストーリーともいえる彼女の物語を、私小説風に語っていく。その中で、ニュースにさえならなかったその夏の日の出来事も、彼女の時間軸の中で捉え直され、そこに彼女にとっての意味が与えられる。

 物語の縦糸と横糸とが交互に織り合わされ、そのたびにそれぞれの世界がふくらんでゆき、最後にそれらが軽やかな符合によって結ばれる。それぞれの物語に読者をにやりとさせるような小粋なエンディングが用意されている。この物語を読み終えたとき、読者は、清々しい読後感とともに、この世界を以前より少しだけ豊かなものに感じている自分に気づくだろう。そんなさわやかな作品である。

If Nobody Speaks of Remarkable ThingsIf Nobody Speaks of Remarkable Things
Jon McGregor

ペーパーバック, Bloomsbury, 2003/05/05


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