2005年03月05日

死んでいる / ジム・クレイス [書評]

死んでいる死んでいる
ジム・クレイス / Jim Crace
渡辺佐智江

単行本, 白水社, 2004/07

 訳者あとがきによれば、徹底した無神論者であるクレイスは、同じく無神論者の父の死に臨んで耐え難い虚無感を覚え、それを機に自らの無神論を見つめ直したという。この作品は彼のそうした経験をもとに書かれている。人は、宗教が示す死生観に頼ることなしに、死をどう受け入れたら良いのか、死にどういう救いを見出すことができるのか。クレイスはこの作品において、その問いに一つの答えを提示する。

 これといって魅力のない中年の動物学者夫婦が、人目につかない海岸で通り魔によって殺される。物語は、殺害の瞬間から二人のその日一日をさかのぼり、二人がその海岸で初めて出会ってからの三十年をさかのぼり、そうすることによって、唐突に終わってしまった二人の人生を浮かび上がらせる。一方で、家を飛び出し一人で暮らしていた彼らの娘は、行方不明になった両親を捜索し、その中で彼らの人生の名残に触れ、それを見つめ直す。そしてそれらと平行して、放置された二人の死体が腐敗してゆく様子が、冷徹に克明に描かれてゆく。

 二人の起伏の少ない人生が、明確な手触りとともに浮かんでくる。華やかな栄光もなく、必ずしも互いに満足もしていないが、それでも二人の間には、時間が育んだかけがえのない愛があったことが静かに伝わってくる。一方、二人の亡骸が形を失ってゆく様子は、それを取り巻く自然界の現象の一部として、徹底的な非情さと精細さをもって描かれる。死をありのままに見つめることは、否応なく見る者の死生観を問い質す。クレイスは、天国や永遠といった宗教の示す甘美な死のイメージを排し、誰一人超越することのできない自然の摂理として個人の終焉を描き、人間は二つの暗闇の間のわずかな生にしがみつくしかないのだという、ある種の諦念を示す。

 しかし同時にクレイスは、個人の死の後にも残るものがあることを示している。両親に反発し続け、放埓な生活を送っていた娘は、両親を失って初めて彼らの愛情を素直に受け止め、彼女自身のやり方で二人の死を受け入れてゆく。両親の愛情や経験を、確かに存在したものとして心に刻み、しかしそれを模倣するのでなく、同じく死すべき定めの者として、彼女自身の人生を精一杯生きていく決意をする。それこそが彼の提示する救いである。

 クレイスの示す死生観をどう受け止めるかはそれぞれの読者に委ねるが、この作品はそれを抑制の効いた文章で伝えていて真摯で潔い。腐敗してゆく死体の描写にさえ、あらゆる生命を内包する自然の営みを詠った叙事詩のような荘厳さが感じられる。「死」という重いテーマが扱われていながら、読後には清々しい印象が残り、どこか暖かい気持ちにさえ包まれる。その清明さは、死に真正面から対峙した者だけが持ち得るものなのかもしれない。

Being DeadBeing Dead
Jim Crace

ペーパーバック, Penguin Books Ltd, 2000/05/04

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