2005年08月02日

山本先生の思い出 [雑記帖]

僕が批評家になったわけ僕が批評家になったわけ
加藤典洋

単行本, 岩波書店, 2005/05/21

 岩波書店の「ことばのために」というシリーズの一冊、加藤典洋の『僕が批評家になったわけ』を読んでいる。帯にある『批評とは、本を一冊も読んでいなくても、百冊読んだ相手とサシの勝負ができる、そういうゲームだ』というフレーズに惹かれ、この本を手にした。加藤典洋はこの発見を批評家としての自らの出発点としたと言い、批評とは何かと問い、対談、注記、手紙、日記など、我々の想像する批評とはおよそ程遠いと思われるものにも、批評を見出すことができると説く。

 まだ読みかけなので、この本自体についての詳しいコメントは控えるが、これを読み進めるうち、『山本義隆は「受験生」に鍛えられた』という項に出会った。ん?山本義隆?それって、ひょっとして……。

 それは、科学史家、自然哲学者、元東大全共闘議長、そして駿台予備校講師の山本義隆だった。そう、先日のmixi日記でエピソードを紹介した駿台の山本先生その人だったのである。そこには、2003年に発表され、大佛次郎賞をも受賞した、遠隔力概念の歴史を記した彼の著作『磁力と重力の発見』が紹介されていた。彼は予備校講師を務める傍ら、ずっと在野で研究を続けていたのだ。知らなかった。いや、当時からすごい人だとは思っていたが、こんなにもすごい人だったなんて…… (◎_◎;

 当時、駿台にはもう一人、坂間勇という、これまた神様と崇められる物理講師がいて、実は、学生には山本先生より坂間先生の方が人気があった (山本先生もそのことを承知していて、授業の中で、それについて皮肉っぽいコメントをしたこともあった)。 が、佐吉は坂間先生の授業より、むしろ山本先生の授業に興奮した。ただし、坂間先生の名誉のために言っておくが、これは坂間先生の授業がつまらなかったという意味ではない。坂間先生の授業も素晴らしかった。彼の著した『大学入試必修物理 (廃刊)』は、下手な大学の物理学の教科書よりずっとためになるとさえ言われ、受験生のバイブルと称えられていた。しかしそれ以上に、佐吉にとって山本先生の授業はセンセーショナルだったのである。

 山本先生の講義は実に明解で、その内容の一つひとつが驚くほどすとんと腑に落ちた。佐吉はそれまで、物理を一番の得意としていたつもりだったのだが、それがいかに模糊とした理解の上に成り立っていたかを、先生の講義によって思い知ったのだった。物理が、それまでの机上のパズルのようなものから、はっきりとした手触りのあるものとして目の前に立ち上がってきた。そして、ちっとも偉ぶらない山本先生の話し振りも楽しかった。

 駿台には、一年間の講義を終えた後、教科書に講師のサインをもらうという風習があった。学生にとっては、目前に控えた受験本番のお守りのようなものだったと思う。特に気に入った講師数人にだけもらう者もいれば、全教科の講師のサインを集めるつわものもいた。佐吉自身は、そんなものにご利益などあるものかと、講師にサインをねだる友人たちをやや醒めた目で眺めていた。

 とは言うものの、山本先生にだけは、佐吉もサインをもらいたいと思った。受験のためのお守りというより、先生の授業を受けた記念に、という気持ちが強かったと思う。

 山本先生の最後の授業が終わった後、友人たちと一緒に、事務室(だったかな?)に先生を訪ねた。先生は学生一人ひとりに「どんなことを書いてほしい?」と訊ねた。「自信が湧いてくるような言葉を」、「受験のとき落ち着けるような言葉を」、「○○大学絶対合格!って書いてください」……。先生はそれぞれの教科書に、名前と一緒にそれらに見合ったメッセージを書き込んでいく。

 佐吉の番になった。受験のお守りにとは思っていなかった佐吉は、「何かカッコいいことを書いてください!」と先生に言った。先生は「カッコいいことか……」と呟き、しばし考えた後、佐吉の教科書にこう書いてくれた。「批判的なことが一番重要なことじゃ! 山本義隆」。

 結果はともかく受験が済んで、用済みになった教科書はほとんど処分した。しかし、物理 I の青い教科書だけは、その後も永くとっておいて、時折開いてみたものだった。もっとも、どこに紛れ込んだのか、今は手元にない。そのうち、どこからかひょっこり出てくるだろうか。

 加藤典洋は『磁力と重力の発見』を評して『なぜ近代科学がヨーロッパだけから起こったのか、という疑問に始まる自然科学史の著作だが、その書かれ方の中に、学問的水準を落とすことなく、しかし一般公衆を相手に書こうという、大学闘争時代以来の意向が生きている』と言い、『この本を披いて頁を追っていくとわかるのは、彼が身過ぎ世過ぎのためについたかに見える大学受験予備校での経験が、そうではなく、この著作を、異様なまでに柔軟でしかも精緻なものにしている、と見えることである』と言う。いかにも山本先生らしい、と佐吉は思う。

 佐吉はこの本を読んでみようと思う。佐吉にはもうすっかり縁遠くなってしまった世界の話だが、それでも何か感じるものがあるかもしれない。しかし、それにしても、高ぇなあ、この本…… (-_-;

磁力と重力の発見 1 古代・中世磁力と重力の発見 1 古代・中世
山本義隆

単行本, みすず書房, 2003/05

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