2005年08月23日

愛犬ボーイの生活と意見 / ピーター・メイル [読書日記]

愛犬ボーイの生活と意見愛犬ボーイの生活と意見
ピーター・メイル / Peter Mayle
池央耿

文庫本, 河出書房新社, 1997/03

 昨日、近所のブックオフで、すべて105円コーナーから、8冊本を買ってきた。その中から、今日読んでいるのは『愛犬ボーイの生活と意見』。著者のピーター・メイルは、1993年、エッセイ『南仏プロヴァンスの12か月』で一躍有名になったイギリスの作家。佐吉自身はこれを読んでいないが、そのタイトル、あるいは彼の名をご記憶の方も多いだろう。

 『愛犬ボーイの……』は、人間の営みや社会のありようを、彼の実在の愛犬ボーイの口を通じて語らせた、社会風刺の色合いの濃い小説……というより、小説の体をとった社会風刺。原題を『A Dog's Life』という。ちなみに、"dog's life" には、文字通り「犬の生活」という意味の他に、「惨めな生活」という意味があり、現在では、そこから転じて (悠々自適な) 「贅沢な生活」という意味にも使われるらしい。この本の内容と照らし合わせれば、単純なようでいてなかなか含蓄のあるタイトルだと云える。邦題は、他でもしばしば見られる、18世紀のイギリスの作家ローレンス・スターンの『トリストラム・シャンディ氏の生活と意見(The Life and Opinions of Tristram Shandy, Gentleman)』のもじりで、それはそれで味わいのあるタイトルなのだが、そこから上のようなニュアンスがやや窺いづらいのが惜しい。

 さて、かのベストセラーでさえ読んでいなかった佐吉が、この本を手に取ったのは、実は、書店でそれを見かけた際、以前mixiでとある友人が、これを読んでなぜか佐吉を連想したと云っていたのを思い出したからである。つまり、それは如何なる理由によるものなのか確かめてみようという自意識からなのである。嗚呼、佐吉の自意識、税込み105円也… (-_-;

 まだ読み始めたばかりだが、これがなかなか面白い。犬が語っているという設定は、人間や社会の様々な側面に、諸々の先入観にとらわれない自由な視線を向けることを可能にする。時にアイロニカルに、時にシニカルに、彼は現代社会に辛辣な観察眼を向け、それをずけずけと云ってのける。その小気味良い口調は独特のユーモアとウィットに満ちていて、辛口であるにも関わらず、すんなり受け入れることができる。犬の回想という設定も自然で、しばしば「なるほど、犬にはこう見えるのか」と納得している自分に気付くほどだ。

 ピーター・メイル自身の原文がそうなのか、あるいは訳者池央耿の訳文がそうなのかはわからないが、その文体は、佐吉にはとてもすんなり入ってくる。口調は硬質なのだが、それは、硬い内容を語るため、あるいはそういう内容であるかのように見せるための硬い口調ではなく、むしろ、およそそういう口調に似つかわしくない内容を、敢えてそう語ることによる面白さを狙った、いわば確信犯的な口調なのである。どこがどうと説明するのは難しいが、佐吉はこういう文体は好きだ。それが佐吉の文体に似ているなどと云うのはおこがましいが、そこから佐吉の口調を連想すると云われれば、なるほどと思うところもないではない。

 もっとも、この作品が人々に永く記憶されるべき大傑作であるなどと云うつもりはない。同じく動物の目を通して人間社会を風刺した作品としては、夏目漱石の『我輩は猫である』という、日本人なら誰でも知っている有名な作品もある。海外を視野に入れても、こうした視点がとりわけ新鮮というわけでもないだろう。しかし、そんなことはともかく、この作品は読んでいて面白い。止まらなくなる。だから、こうしてレビューの下書きを兼ねた日記をひとまずしたためておいて、また続きを読むことにしよう、と思う佐吉なのであった。

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