2005年09月05日

江戸の性風俗−笑いと情死のエロス / 氏家幹人 [書評]

江戸の性風俗―笑いと情死のエロス江戸の性風俗―笑いと情死のエロス
氏家幹人

新書, 講談社, 1998/12

 性に関する商品や情報がちまたにあふれている一方、現代の多くの日本人にとって、性愛に関する話題は、人前で話すことがはばかられるものである。しかし江戸幕末期の高級官僚川路某の日記は、当時、猥談や艶笑談が一家団欒の話題として、日頃からおおっぴらに語られていたことを子細に伝えている。

 今の我々の感覚ではおよそ想像しがたい光景である。しかしそれは、川路家の家風がことさら風変わりだったということではない。そのような光景は、当時、どこの家庭でもごく当たり前に見られたのだと氏家は読み解く。そもそも現代の日本人の、恋愛や性愛はプライベートなものという考え方は、近代以降、西洋から輸入された思想に負うところが大きいのだという。ならば、それ以前の日本人は性に対してどんなイメージを持っていたのか。本書はそれをテーマに据えている。

 ただし過去にも、こうしたテーマを、当時の春画や軟文学などから探った例はいくつかあるだろう。しかし春画や軟文学は、あくまで娯楽のために編まれた「商品」であり、それらが当時の市井の人びとの性についてのイメージをありのままに伝えているとは考えにくい。したがってそのようなアプローチは、どうしても間接的であると云わざるを得ないだろう。対して氏家は、それを、先の川路某の日記のように、人びとの日常生活により密着した題材から探ってゆくのである。

 それはたとえば、身分や階級が絶対的な意味を持っていた時代、まさにそれゆえに、高貴な人びとについて、彼らの容姿と同様、その性的魅力までもが、庶民の羨望と好奇の対象として取り沙汰されたこと。あるいは、春画が土産物や贈答品として広く流通していたこと。いずれも、現代の日本人には俄かには信じられない感覚である。

 さかのぼって戦乱の時代には、女性蔑視の風潮ともあいまって、武士の間に男色が流行したことを説き、さらに、それによって醸成された恋愛観と、のちの太平の時代に流行した男女の心中事件との関連を、時代背景の変化とあわせ、考察する。

 あるいはまた、今ではほとんど肉体関係のみを意味する表現として使われるようになった「肌を合わせる」、「肌を許す」といった云い方が、本来は精神的な結びつきを第一義としていることから、かつての日本人が、肉体的接触を精神的な結びつきの象徴として捉えていたことを示し、彼らの性に対する豊かなイメージを浮かび上がらせる。

 明治維新を境に日本人の生活様式は大きく変化した。それがため、現代人たる我々は、それ以前の日本人の暮らしぶりや考え方に思いのほか疎いものである。一方、恋愛や性愛に関する話題は、古今東西、人間の最大の関心事の一つだが、その扱われ方は実に多様で、それだけに、それぞれの時代や社会、また人びとの生活や考え方を、しばしば雄弁に物語ってくれる。江戸の世の人びとの性に対する考え方に触れることは、我々に、彼らの価値観や世界観についてさまざまなイメージを喚起する。そして、それらはどこか新鮮にさえ感じられる。

 氏家はこうした事柄について興味本位に想像を逞しくするのでなく、いかにも研究者らしく、件の川路の日記をはじめ、さまざまな資料からその材料を抽出し、あくまで客観的にそれらを検証してゆく。その視座はとても興味深く、話には説得力と面白味がある。愉快な知的興奮を与えてくれる一冊である。

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