2005年10月12日

エドウィン・マルハウス / スティーヴン・ミルハウザー [書評]

エドウィン・マルハウス−あるアメリカ作家の生と死エドウィン・マルハウス−あるアメリカ作家の生と死
スティーヴン・ミルハウザー / Steven Millhauser
岸本佐知子

単行本, 白水社, 2003/08

 『エドウィン・マルハウス−あるアメリカ作家の生と死(1943−1954) ジェフリー・カートライト著』というのが正式なタイトルである。10歳にして不朽の名作『まんが』を物し、11歳で夭逝した天才作家の生涯を、彼と同い年の少年が書き記した伝記、という風変わりな構えの小説である。「幼年期」、「壮年期」、「晩年期」の三部に分け、巻頭には著者自身のまえがきに加え、文学者と思しき(架空の)人物が寄せた序文まで添えるなど、本格的な評伝を模した凝った作りになっている。

 伝記の著者ジェフリーは、生後六ヶ月のときに、隣家に生まれたこの物語の主人公エドウィンに出会う。以来、ジェフリーはこの隣人にして親友の行動をつぶさに観察し、並外れた記憶力をもってそれを精緻に再現してゆく。幼児期の言葉遊びに見られる天才の萌芽、絵本や玩具への強い執着、さまざまな友人たちとの出会いと彼らから受けた影響、身を焦がすような初めての恋、そして壮絶な創作活動と、自らをそうした世界に永遠に封じ込めようとするかのような凄絶な死。ジェフリーは大人顔負けの洞察力と表現力とによって、ときに慈愛に満ちた眼差しをもって、またときに辛辣な批評を交えながら、それらを冷徹に綴ってゆく。

 しかし読み進めるにつれ、ジェフリーが描いているのは、エドウィンの生涯と見せて、実はジェフリーの目に映る彼自身の世界なのではないか、エドウィンは単に、それを描くための依り代でしかなかったのではないか、という疑問が湧いてくる。エドウィンは天才などではなく、実は凡庸な少年であって、真の天才はむしろジェフリーなのではないか、とさえ思えてくる。

 とは云え、読者がジェフリーに天才を感じるのも、彼のずば抜けた記憶力と洞察力、そして表現力に対してであり、それらはもちろんこの物語の中で彼に与えられた道具立てである。ミルハウザーはそうすることによって、誰もが経験していながら、いつの間にか忘れてしまった世界を、リアルに、鮮やかに再現しているのである。

 子供の世界を描いた作品は数多く存在する。しかしそのほとんどは大人が書いたものであり、それゆえ大抵どこかに大人の視線が透けて見えるものである。そこに登場する子供たちも、多くは大人が創り出した子供たちである。しかしミルハウザーは、この作品において少年を語り手とし、彼に優れた伝記作家の洞察力と表現力を与えることで、その視線をきれいに排除している。目に映るもののすべてを描かずにはおかないミルハウザーの精細な筆致は、読者をかつて読者自身がいた場所へと誘う。大人びた少年の口から語られる奇妙な物語を辿るうち、読者はいつしか自分が大人であることを忘れ、彼らと同じ場所に立ち、彼らと同じ目線で、彼らと同じ世界を体験している自分に気づくだろう。

 あらゆるものに興味を抱き、未知の世界に驚き、敏感にそれらの影響を受け、ときに取り憑かれたように何かに熱中する。不安や恐怖や葛藤は、その一つひとつが世界を揺るがす大事件であり、現実と妄想との境界はしばしば曖昧である。そこでは、子供たち一人ひとりが天才のきらめきを放ち、一方で残酷な感情や辛辣な視線もまた確実に存在する。彼らにとっての世界は、新鮮な驚きと輝き、そして深遠な闇に満ちている。

 それぞれの読者に、きっと多くの部分で、自分自身の記憶と深く共鳴するものがあるだろう。ここには、大人が幼い頃を振り返ったときに感傷を伴ってよみがえってくる「子供の世界」ではなく、リアルタイムで子供たちの眼前に広がっている「世界」そのものが鮮烈に描かれている。

Edwin Mullhouse: The Life and Death of an American Writer 1943-1954 by Jeffrey Cartwright (Vintage Contemporaries)Edwin Mullhouse: The Life and Death of an American Writer 1943-1954 by Jeffrey Cartwright (Vintage Contemporaries)
Steven Millhauser

ペーパーバック, Vintage Books, 1996/03

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この記事へのコメント

はじめまして、TRKと申します。
今までも時々覗かせていただいておりました。
ちょうどこの本について知りたかったところで、こちらで丁寧な書評を読めて嬉しかったです。
ブログルポの方も評価させていただきました。
また来させていただきます。どうぞよろしく。<(_ _)>

Posted by TRK at 2006年04月09日 12:16
TRKさん、はじめまして。

スティーヴン・ミルハウザーは執拗なまでに物事を視覚的に細かく描写する作家で、それゆえ彼の作品にはどこか一気に読み通すのを許さないところがあります。『エドウィン・マルハウス』も長く、決して読みやすい作品ではないかもしれません。ですが、一旦その世界に入り込んでしまえば、他の作家ではちょっと味わえない彼独特の作品世界にどっぷり浸れます。

ミルハウザーの作品のほとんどは柴田元幸が訳しているのですが、『エドウィン・マルハウス』だけは、「変わった」作家の本ばかり訳していることで知られる岸本佐知子(本人見てませんように)が訳しているという、ちょっといわくつきの作品でもあります。

佐吉自身はこの作品を大いにお薦めします。評価、どうもありがとうございました。こちらこそ、これからもどうぞよろしくお願いします。

Posted by 佐吉 at 2006年04月10日 12:21

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