2008年02月18日

嘘つきアーニャの真っ赤な真実 / 米原万里 [書評]

嘘つきアーニャの真っ赤な真実嘘つきアーニャの真っ赤な真実
米原万里

文庫本, 角川書店, 2004/06

 そのあまりにも早すぎる訃報(2006年5月)もまだ記憶に新しい、ロシア語通訳にしてエッセイスト、作家でもあった米原万里の『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』を読む。大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した本書は、米原自身を主人公に、彼女の在プラハ・ソビエト学校時代の3人の旧友との再会を描いた作品である。

 かつてプラハには、国際共産主義運動の理論誌の編集局があり、マリ(米原)の父は日本共産党からそこに編集員として派遣されていた。マリは1960年から1964年、彼女にとっては9歳から14歳までの約5年間をかの地で過ごした。彼女が通った在プラハ・ソビエト学校は、ソ連外務省が直接運営する外国共産党幹部の子女のための学校で、そこには当時、50ヵ国以上もの国々の子どもたちが学んでいた。故国を離れて暮らす彼らは皆「イッパシの愛国者」だった。米原は彼らの愛国心について、
 異国、異文化、異邦人に接したとき、人は自己を自己たらしめ、他者と隔てるすべてのものを確認しようと躍起になる。自分に連なる祖先、文化を育んだ自然条件、その他諸々のものに突然親近感を抱く。これは、食欲や性欲に並ぶような、一種の自己保全本能、自己肯定本能のようなものではないだろうか。
 と云い、また彼女自身、そこで「愛国心の萌芽のような」感情をはじめて自覚したと語る。

 マリには何人かの個性的な友人がいた。勉強はおそろしく苦手だけれど、性に関する知識においては「圧倒的絶対的権威者」だったギリシャ人のリッツァ、「労働者階級に属することに誇りを持って欲しいものだわ」などと大げさな共産主義的言辞を好んで口にしながら、自分は貴族のように贅沢な暮らしを享受しているルーマニア人のアーニャ、そして抜群の秀才で、立ち居振る舞いも落ち着いていて、しかしそれゆえどこか近寄りがたいユーゴスラビア人のヤスミンカ……。

 日本に戻ったのちも、しばらくは彼女らと手紙のやり取りをしていたマリだったが、去る者は日々に疎し、いつしか連絡は途絶えてしまう。そして1968年、チェコスロバキアに「プラハの春」と呼ばれる民主化運動が起こり、それを鎮圧すべくソ連軍がワルシャワ条約機構軍を率いてプラハに侵攻する(チェコ事件)。その結果、国際共産主義運動は分裂状態に陥り、中東欧諸国は、のちの社会主義崩壊とそれに続く民族紛争につながる激動の渦に巻き込まれてゆく。

 もちろん旧友たちの故国も例外ではない。ギリシャでは、1968年、クーデターにより、それまでの王政に代わって軍事独裁政権が誕生する。ルーマニアでは、1974年に大統領に就任したチャウシェスクの独裁によって経済が悪化し、やがて1989年の流血のルーマニア革命に至る。またユーゴスラビアは、1991年の十日間戦争を嚆矢に、民族紛争の泥沼にはまってゆく(のちに連邦は解体し、2003年、ユーゴスラビアは事実上消滅する)。ロシア語通訳となったマリは、ソ連崩壊後の混乱の日々に忙殺されながらも、旧友たちの安否が気になって仕方がなく、ロシアの要人の訪日中止による不意の休暇を利用して彼女らを探す旅に出る。

 「リッツァの夢見た青空」、「嘘つきアーニャの真っ赤な」、そして「白い都のヤスミンカ」の3編は、いずれも文庫版で約100ページと、決して長くはない。どれもが、ソビエト学校時代のいくつかのエピソードを紹介し、それから約四半世紀ののち、マリが彼女たちの消息をつかむまでの経緯と、旧友どうしの再会の場面を短く綴っているにすぎない。しかしそこに、旧友たちそれぞれの人物像と彼女らの歩んできた人生が、ありありと浮かんでくる。そしてさらにそのむこうに、中東欧の激動の歴史が確かな手触りとともに立ち上がってくる。歴史の大きなうねりのただ中に生きてきた、彼女ら一人ひとりの人生そのものが、そうした歴史の一部であることに気づかされるのである。

 ルーマニア人のアーニャは、かつて熱烈に祖国を愛していながら、その後あっさり宗旨替えし、今はイギリスに暮らしている。「民族とか言語なんて、下らないこと」と語るアーニャに、マリは云う。
 「(前略)だいたい抽象的な人類の一員なんて、この世にひとりも存在しないのよ。誰もが、地球上の具体的な場所で、具体的な時間に、何らかの民族に属する親たちから生まれ、具体的な文化や気候条件のもとで、何らかの言語を母語として育つ。どの人にも、まるで大海の一滴の水のように、母なる文化と言語が息づいている。母国の歴史が背後霊のように絡みついている。それから完全に自由になることは不可能よ。そんな人、紙っぺらみたいにペラペラで面白くもない」
 その言葉に評者は胸を衝かれた。さまざまな国や地域の歴史は、活字やニュースの映像の中にあるのではなく、一人ひとりの個人のリアルな歴史の総体としてある。地球上の誰もが、決して自分を取り巻く歴史や文化から自由であることはできない。まさにこれこそが、米原が本書を通じて読者に伝えようとしたメッセージなのかもしれない。彼女の提示する愛国心、あるいは民族感情は、一連の民族紛争の引き金となったナショナリズムとはまったく別のものである。

 軽妙洒脱なエッセイで多くの読者に愛されてきた米原だが、一方で、この重いテーマを扱った本書をもって彼女の代表作と見る人も少なくない。それも決して故なくしてではないだろう。本書は、かの激動の時代のなかば当事者であり、なかば傍観者でもあった彼女にしか書き得なかった「真実の物語」なのである。

嘘つきアーニャの真っ赤な真実嘘つきアーニャの真っ赤な真実
米原万里

単行本, 角川書店, 2001/07


関連(するかもしれない)書籍

この記事へのコメント


コメントを書く
お名前: [必須]

メールアドレス:

ホームページURL:

コメント: [必須]



この記事へのトラックバック


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。