2008年03月05日

古本屋の女房 / 田中栞 [書評]

古本屋の女房古本屋の女房
田中栞

単行本, 平凡社, 2004/11

 古本屋の店主や古書の愛好家が、古本屋にまつわるエピソードや古書についての薀蓄を語った書は枚挙に暇がない。そうした「古本の本」は古本好きにはこたえられないものである。評者もご多分にもれず、作家にして古書店の店主でもあった出久根達郎や、無類の古本好きで「神保町ライター」を自称する岡崎武志などのエッセイを愛読している。本書『古本屋の女房』もまた古本と古本屋について書かれたエッセイの一冊なのだが、この本は著者が女性であるという点で、ひときわ異彩を放っている。

 著者の田中栞は、本好き、古本好きが高じて古本屋の主人と結婚し、文字通り「古本屋の女房」となった女性である。そんな彼女だから、妊娠、出産、育児と家庭のことに追われながらも、趣味と実益を兼ねた古書マニアはやめられない。大きなお腹を抱えて、赤ん坊を負ぶって、ベビーカーを押して、おじさんたちの加齢臭立ちこめる古書展に出向き、篆刻教室に通ってオリジナルの蔵書印を作り、全国各地の古本屋を訪ねてはせどりに励む。ちなみに「せどり」とは、ブックオフの100円均一本など他の古書店で安く仕入れた書籍を、より高い値段で転売して利鞘を稼ぐことをいう。

 本書の紹介文で彼女自身が云っているように、田中は『古本屋と古本業界と家庭の裏事情を赤裸々に』綴っている。生活感あふれる語り口で、こんなことまで明かしていいのかと思うようなことさえ、あきれるほどおおらかに語っている。本文に60点近く挿入された彼女自身の手になるイラストもほのぼのとして楽しい。幼い子どもの手を引き、大きなリュックを背負い、文庫本をぎっしり詰めたショッピング・カートを引いて、次はこの店、今度はあの店と、せどりに全国を駆け回る彼女の奮闘ぶりは実に痛快で、そのパワフルさに思わず圧倒されそうになる。

 ときに、著者がそこまでするのは、もちろんそれが古本屋の仕事だからでもあるのだが、何より本を大量に買うのが爽快だからだと彼女は話す。その気持ちはよくわかる。新刊書店ではなかなかそんな真似はできないが、というかできないからこそ、古書店で均一本を何十冊もまとめて買うのは、その中身に関わらず気持ちの良いものである。あの店でこんな本を買った、この店では何冊買った、と嬉々として語る彼女の口ぶりに、思わずこちらまでにやにやしてしまう。

 しかし反面、彼女の娘と息子についての記述があまりにも多いのには、ちょっと辟易する。くだんのイラストも、多くはその子どもたちを描いたもので、あちこちの古書店の店舗を描いたイラストにも、少なからず子どもたちが点景として配されている。いずれも微笑ましい記述であり楽しいイラストではあるのだが、こうも親ばかぶりを見せつけられると、正直、やや鼻白んでしまう。

 また本編の最後、『女房が離婚を考えるとき』という一節では、店舗の移転に伴って店の大家や不動産屋との間にトラブルが生じ、それを解決すべく奔走する過程で、夫との離婚を考えるに至る顛末が綴られているのだが、これにもいささか閉口する。子どもについては呆れるほど多くを語っているのに対し、夫に関する記述は全編を通じてほんのわずか、それもひどく淡白なもので、「人が好すぎる」という以外に夫の人物像がさっぱり浮かんでこないため、離婚を考えるまでの経緯がどうにもぴんとこないのである。そもそもそのトラブル自体があらゆる個人商店において起こり得る内容であり、古本屋だからこそという記述はほとんど見当たらない。つまりこの一節は、個人的な憤懣を吐き出すために書かれた愚痴のようなものにすぎず、読む側としては、同情はするものの嫌な後味を覚える。

 と、まあ、そんな具合にやや自分本位な子育て日記のような側面もないではないのだが、田中の文章は親しみやすく、あくまで生活者の立場で書かれた古本屋の暮らしぶりもユニークで興味深い。本文はもちろん、装丁の細部にまで著者の思い入れがあふれていて、いかにも本好きが造った本であることを窺わせるし、なんだかんだ云いながら、「レジに持っていきづらいボーイズラブ小説は娘に買いに行かせる」などというくだりには思わず吹きだしてしまう。とりわけ彼女と同じように子育て中の本好き、古本好きの女性には楽しい一冊に違いない。

 ところで田中は、本書の「あとがき」で、今ではせどりをしなくなったと書いている。それは、その後彼女の夫の店が、規模を縮小して絶版文庫中心のインターネット古書店になったことにもよるのだが、一方で、ブックオフなどで以前ほど値打ちのある本が抜き出せなくなったからだともいう。

 他所で聞いた話だが、せどりはかつて、古書に関する確かな鑑識眼を持ったプロの業者にしかできない仕事だったが、Yahoo!オークションやAmazonマーケットプレイスなどの普及によって、さらには古書の相場を簡単に知ることができるツールの登場によって、今では一般の素人にもせどりをする人が増えているのだという。それゆえブックオフなどでも、見る人が見ればかなりの値段が付けられる「お宝本」は、あっという間に抜かれてしまうのだそうだ。

 なるほど、評者のような、たまにふらりと立ち寄るだけの一般客が、「これは!」と思うようなお宝になかなか巡り会えないのも道理だ。

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