2008年03月16日

恥辱 / カーリン・アルヴテーゲン [書評]

恥辱恥辱
カーリン・アルヴテーゲン / Karin Alvtegen
柳沢由実子

文庫本, 小学館, 2007/11/06

 カーリン・アルヴテーゲンは、スウェーデン南部の小さな町に生まれ、ともに教師を務める両親のもと、常に文学が身近にあり、家族の誰もがものを書くという、知的で穏やかな家庭に育ったという。大叔母に『長靴下のピッピ』で知られるアストリッド・リンドグレーンがいて、その国民的児童文学作家の影響を強く受けたとも本人は語っている。しかし、そんな幸福な少女時代とは裏腹に、彼女が創作を始めたのは実に悲痛な動機からだった。

 きっかけは仲の良かった兄の事故死だった。折しも第二子の臨月を迎えていた彼女は、その悲しみをきちんと受け止めることができないまま出産と育児に忙殺され、さらに離婚を経験して、深刻な鬱状態に陥り、療養生活を余儀なくされる。そしてその心の痛みを真正面から見つめるため、つまり一種の心理療法として、文章を書き始めたのだという。

 デビュー作『罪』で注目を集め、二作目の『喪失』でグラス・キー賞(ベスト北欧推理小説賞)を受賞したアルヴテーゲンは、一躍「北欧ミステリー界の女王」と称されるようになる。しかし彼女の作品の魅力は、謎解きの妙よりむしろ、心の歯車が狂い、絶望と狂気の淵に追い詰められた人間の内奥の描き方にある。

 『罪』、『喪失』の二作は、それぞれ心に傷を負った人物が主人公であり、ミステリー仕立てではあるものの、彼らの心理描写が作品全体に通奏低音として響いていた。続く『裏切り』では、ミステリーというプロットの牽引力に頼ることなしに、純粋な心理サスペンスとして、夫婦関係のみならず人生の破局へと向かう男女の心理を、鳥肌が立つような緻密さで描いてみせた。そして四作目となる本作で、アルヴテーゲンはその筆致をさらに尖鋭化させている。

 この物語には二人の主人公がいる。一人はクリニックの医局長を務める38歳の女医モニカ。傍目には成功者に見える彼女だが、実は子どもの頃に敬愛していた兄を火事で失い、自分だけが助かったことに負い目を感じている。未だ息子の死を悔やむ母のため、兄の代わりとなるべく常に完璧であろうとする一方で、自分には幸せを求める権利さえないと思っている。

 そしてもう一人の主人公、一人暮らしで50代半ばのマイブリットは、ベッドに横たわることもできないほどの肥満に苦しんでいる。彼女にとってはその身体を他人に見られることが最大の恥辱であり、ヘルパーの介護がなければ日常生活すらままならないにも関わらず、ずっとアパートに閉じこもったまま、傲慢な態度をとっては派遣されてきたヘルパーたちを追い返してしまう。

 互いに何の接点もない彼女たちそれぞれに、忌避し続けてきた過去の記憶と向き合わざるを得ない出来事が起こる。二人の物語が一章ずつ交互に語られ、各々の心のひだが徐々にあらわになってゆく。ひりひりするような緊張感を保ちながら、話は急テンポで展開し、二つの物語は見えざる手に導かれるようにして、その交点へ向かってゆく。

 アルヴテーゲンは今も自分のために小説を書くという。自らを救済しようともがき苦しむ彼女の作品の主人公たちには、皆どこかしら彼女自身の姿が投影されている。それだけに、その内面の描き方には鬼気迫るものがある。ただし本作は、これまでの三作と違って宗教的倫理観が一つの主題になっているため、キリスト教に疎い日本人には、登場人物たちの行動や選択に腑に落ちない部分があるかもしれない。しかしそれでもなお、断崖から深淵をのぞき込むような彼女の筆致の生々しさには、しばしば背筋が寒くなる。それと同じものが自分の内側にもあることに気づかされ、その闇の深さに思わず足がすくむのである。

 彼女を創作に向かわせる力が何であれ、アルヴテーゲンの心の奥底を見つめる視線が、一作ごとに研ぎ澄まされていっていることは間違いない。本国ではすでに発表されているという第五作の邦訳も、今から待ち遠しい。

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