2009年02月11日

女神記 / 桐野夏生 [書評]

女神記女神記
桐野夏生

単行本, 角川グループパブリッシング, 2008/11/29

 世界各地の神話をいまに語りなおそうという「新・世界の神話」プロジェクトに、いよいよ日本の神話が登場した。シリーズの執筆陣に名を連ねている、マーガレット・アトウッド、デイヴィッド・グロスマン、オルハン・パムクといった海外の錚々たる現代作家に伍して、世界に向けて新たな日本の神話を紡ぎだす我が国の語り部は、人気と実力を兼ね備えた当代屈指のストーリーテラー、桐野夏生である。

 古事記に伝えられる日本神話では、イザナキとイザナミとが目合(まぐわ)い、日本の国土とさまざまな神々を産み出す。けれどイザナミは、火の神カグツチを産んだ際に負った火傷がもとで死んでしまう。イザナキは悲しみに打ちひしがれ、イザナミを連れ戻そうと黄泉(よみ)の国におもむくが、その変わり果てた姿を見ると、恐れおののいて地上に逃げかえり、黄泉の国と現世とをつなぐ黄泉比良坂(よもつひらさか)を大岩で塞いでしまう。冥界に閉じ込められたイザナミが、「おまえの国の人間を一日に千人殺してやる」と呪いの言葉を投げつけると、イザナキは「ならば私は一日に千五百の産屋を建てよう」と云い返し、両者は決別する。『女神記』は、こうして神話の表舞台を去り、黄泉の国の女神となったイザナミの物語である。続きを読む
2008年10月22日

金春屋ゴメス / 西條奈加 [書評]

金春屋ゴメス金春屋ゴメス
西條奈加

文庫本, 集英社, 2008/09/30

 時代小説や時代劇は、いつの世にも多くの日本人に愛されてきた。しかし云うまでもなく、現在、実際にその時代を体験した人はいない。ならば、たとえば江戸を舞台にした作品であれば、現代人がそこに感じるリアリティの拠り所は、かつて現実に存在した江戸ではなく、現代人が思い描くイメージとしての江戸だと云えるだろう。極端な話、歴史上の事実からは大きく乖離していても、現代人にとってはむしろそのほうがリアルに感じられる、という事柄さえあるかもしれない。

 そのように、歴史上の事実としての江戸を下敷きに、現代人に向けて江戸のイメージを創出したものが通常の時代小説だとすれば、この小説は、イメージとしての江戸を背景に、まったくの異世界を構築した作品と云うことができる。そしてまさにそのことが、この異色作がファンタジーたる所以であり、この作品の最大の魅力である。続きを読む
2008年10月10日

こんな話を聞いた / 阿刀田高 [書評]

こんな話を聞いたこんな話を聞いた
阿刀田高

文庫本, 新潮社, 2007/08

 すべてが「こんな話を聞いた。」という一文で始まる、18のショートストーリーを収めた短編集。いずれもくだんの書き出しに続いて、ときに怪談めいた、またときに寓話のような、なんとも奇妙なエピソードがみじかく紹介され、それに続いて本編が綴られてゆく。

 それぞれの話の舞台はしかし、そんな逸話とは何の関係もなさそうな、ありふれた日常の風景だ。登場する人物も皆ごく普通の人たち。けれど決して紋切り型というのではない。登場人物の一人ひとりが実に丁寧に造形されていて、彼らの背後にそれぞれが歩んできた人生さえほの見える。簡潔で的確な描写によって、特別ではないがユニークな存在としての彼らがすっと脳裏に像を結ぶ。冒頭の逸話の余韻を残したまま、そうしてさりげなく始まるリアルな物語に、白昼夢からふと現実に引き戻されたような感覚を覚える。続きを読む
2008年07月21日

名短篇、さらにあり / 北村薫・宮部みゆき編 [書評]

名短篇、さらにあり名短篇、さらにあり
北村薫・宮部みゆき編

文庫本, 筑摩書房, 2008/02/06

 先に紹介した北村薫・宮部みゆき編『名短篇、ここにあり』の続編である。今回もまた二人の選による日本人作家の短篇12篇が収められている。ちなみに『ここにあり』、『さらにあり』の二巻を通じて、作品は、基本的に最近のものから順に並んでおり、続編となる本書では、昭和の高度成長期の作品に始まり、戦後の混乱期、昭和初期、そして大正時代のそれへと時代を遡ってゆく。

 所収作品の作者はすべて明治生まれの作家で、明治37年(1904年)生まれの舟橋聖一を筆頭に、永井龍男、林芙美子、久生十蘭、十和田操、川口松太郎、吉屋信子、内田百閨A岡本かの子、岩野泡鳴、そして明治5年(1872年)生まれの島崎藤村の11人である(川口松太郎のみ二篇収録)。続きを読む
2008年07月15日

名短篇、ここにあり / 北村薫・宮部みゆき編 [書評]

名短篇、ここにあり名短篇、ここにあり
北村薫・宮部みゆき編

文庫本, 筑摩書房, 2008/01/09

 いきなり突拍子もない話で恐縮だが、本書を通読して評者は、かの小倉百人一首を連想した。

 小倉百人一首は、ご存知のとおり、藤原定家の撰とされる、天智天皇から順徳天皇に至る各時代の著名な歌人百人の歌を一首ずつ収めた歌集であり、今なおかるたや古典の入門教材として日本人に広く親しまれている。

 ところがその定家の撰について、古来、何人もの研究者や専門家が、ある疑問を呈してきた。というのは、小倉百人一首には、むろん誰もが認める秀歌も数多く収められているが、一方で後世にほとんど知られていない歌人の歌や、有名な歌人の作であっても、「この人ならもっといいのがいくらでもあるだろうに」と思えるような平凡な歌も、また少なくないのである。続きを読む
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