2005年03月22日

博士の愛した数式 / 小川洋子 [書評]

博士の愛した数式博士の愛した数式
小川洋子

単行本, 新潮社, 2003/08/28

 数学の世界にのみ生き、その記憶は80分しかもたない、しかし子供に対しては手放しの愛情を示す元大学教師の「博士」。そこには人間のおよそもっとも純粋で無垢な姿がある。家政婦である「私」は、「博士」の奇行に戸惑いながらも、その内奥に広がる世界に惹かれてゆく。が、「博士」にとってのそれは、純粋であると同時にそこから永久に抜け出すことのできない深遠な闇でもあり、そこには、余人には決して足を踏み入れることのできない領域がある。

 シングルマザーである「私」は、やがて、もう一つの無垢な存在である息子「ルート」を介して「博士」とより親密になり、その世界をさらに強く感じてゆく。少年の無垢さはもっとも身近で明確な手触りのある無垢さである。周到に外界から隔絶された場所で、三人だけの幸せな時間が「静かに」流れてゆく。しかしそれはとても危ういものでもある。物語は読者に、その世界がやがて破綻するだろうという予感を抱かせ、果たしていくつかの小さな波乱が訪れる。続きを読む
2005年03月05日

壬生義士伝 / 浅田次郎 [書評]

壬生義士伝 上壬生義士伝 上
浅田次郎

単行本, 文藝春秋, 2000/04

 主人公吉村貫一郎は、無名だが実在の新選組隊士。南部盛岡藩を脱藩し、新選組に入隊、のちに同藩から切腹を命じられたというのも史実らしい。が、詳しい記録は残されていない。したがって本書はもちろんフィクションだが、そのわずかな史実から、これだけの物語を創出した浅田の構想力にまず驚かされる。

 物語は、それから約半世紀ののち、新聞記者と思しき人物が貫一郎を知る人々を訪ね歩き、聞き書きをする、あるいは彼らからの手紙を読むという形で語られる。ただし、それでいて小説らしい修辞が随所に散りばめられ、聞き書きや手紙として読むにはいささか饒舌すぎる文体がやや鼻につく。また、話はとてもゆっくりとした足取りで主人公に近づいていくため、最初のうちは物語の輪郭がなかなか浮かんでこず、もどかしさを覚えるところもないではない。

 しかし、それらの聞き書きや手紙を、あたかも連作短編集のように読み進めるうちに、まさに遠い記憶を辿るように、忠義や政治的信念のためでなく、ひたすら家族のために人を斬り続けた貫一郎という人物が、少しずつその輪郭をあらわにしてゆく。複数の語り手にそれぞれの視点で語らせることによって、ちょうど物体が様々な角度から見ることで立体的に見えるように、それはやがて読者の眼前にくっきりと等身大の像を結ぶ。続きを読む
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