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    <title>プリオシン海岸 -佐吉の読書夜話-</title>
    <link>http://pliocene.seesaa.net/</link>
    <description>市井の翻訳屋の本と読書に関する与太話。内外の文芸作品を中心に、ノンフィクションやエッセイなど、さまざまな書籍について、書評や雑感を載せています。</description>
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    <itunes:summary>市井の翻訳屋の本と読書に関する与太話。内外の文芸作品を中心に、ノンフィクションやエッセイなど、さまざまな書籍について、書評や雑感を載せています。</itunes:summary>
    <itunes:keywords>読書,書評,感想,あらすじ,読書感想文,書籍,評価,小説</itunes:keywords>
    
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      <title>スカイシティの秘密 / ジェイ・エイモリー [書評]</title>
      <link>http://pliocene.seesaa.net/article/101681494.html</link>
      <pubDate>Fri, 27 Jun 2008 23:02:46 +0900</pubDate>
            <description>スカイシティの秘密金原 瑞人、圷 香織東京創元社1155円Amazonで購入書評/SF＆ファンタジー 未曾有の大災害によって地表はすべて汚染され、生き残った人々は地上を捨て、上空数千メートルの雲の上に、巨大な柱によって支えられたスカイシティと呼ばれる都市郡を建設した。そしてそこに暮らす人々は、やがて天使のような翼を持ち、自由に空を飛べる天空人（エアボーン）へと進化していった。 平和で豊かな天空人の暮らし。しかしそれは、見捨てたはずの大地から供給される資源や燃料によって支えられていた。けれど満ち足りた生活に慣れてしまった天空人たちのほとんどは、いつしかそれらが機械によって自動...</description>
      <content:encoded><![CDATA[
<span style="line-height : 0.6em;"><br/></span><a href="http://books-review.buzz-pr.com/archives/51162541.html" target="_blank"><img src="http://www.buzz-pr.com/img/covers/book613.jpg" height="120" border="0" class="pict2" align="left" />スカイシティの秘密<br /></a><ul style="list-style:none;margin:0;padding:0;"><li style="list-style-type: disc;list-style-position:inside;">金原 瑞人、圷 香織</li><li style="list-style-type: disc;list-style-position:inside;"><a href="http://www.buzz-pr.com/book/book/26/any/any/any/any/list.html">東京創元社</a></li><li style="list-style-type: disc;list-style-position:inside;">1155円</li></ul><a href="http://www.amazon.co.jp/gp/redirect.html%3FASIN=4488521045%26tag=meroppresver2-22%26lcode=xm2%26cID=2025%26ccmID=165953%26location=/o/ASIN/4488521045%253FSubscriptionId=090596K8VFHWK71V2782">Amazonで購入</a><br /><a href="http://www.buzz-pr.com/book/book/info613.html">書評</a>/<a href="http://www.buzz-pr.com/book/book/any/any/104/any/any/list.html">SF＆ファンタジー</a><br /><img src="http://www.buzz-pr.com/img/isbn9784488521042.gif" /><script src="http://www.google-analytics.com/urchin.js" type="text/javascript"></script><script type="text/javascript">_uacct = "UA-918914-3";urchinTracker();</script><br clear="all"><br />　未曾有の大災害によって地表はすべて汚染され、生き残った人々は地上を捨て、上空数千メートルの雲の上に、巨大な柱によって支えられたスカイシティと呼ばれる都市郡を建設した。そしてそこに暮らす人々は、やがて天使のような翼を持ち、自由に空を飛べる天空人（エアボーン）へと進化していった。<br /><br />　平和で豊かな天空人の暮らし。しかしそれは、見捨てたはずの大地から供給される資源や燃料によって支えられていた。けれど満ち足りた生活に慣れてしまった天空人たちのほとんどは、いつしかそれらが機械によって自動的に運ばれてくるものと思うようになっていた。<br /><br />　そんな矢先、何者かの妨害によって物資の供給が滞り始めた。放っておけばスカイシティの存亡にも関わりかねない危急の事態だ。地上でいったい何が起きているのか。スカイシティの統治者にそれを調査すべく選ばれたのは、天空人でありながら生まれつき翼を持たない少年アズだった。生来社会的弱者として扱われてきたアズの身体的特徴が、すでに絶滅したとされている地上人（グラウンドリング）に酷似しているというのがその理由だった。そうしてアズは、天空人の誰一人降り立ったことのない地上に向かうエレベーターに乗り込んだ……。<a name="more"></a><br/><br/>　と、導入部をざっと紹介しただけでも、この作品がとてもわかりやすいメタファーで構成された、寓意に満ちた物語であることがうかがえるだろう。ご想像どおり、地上人は絶滅などしておらず、地上に降りたアズは、そこでさまざまな人間のさまざまな思惑が交錯する騒動に巻き込まれる。聖職者に侵入者として追われ、かと思えば巨大化したねずみのような動物に襲われ、キャタピラで動く重量50トンもの大型探索機とトラックによるカー（？）チェイスがあり、重要拠点をめぐっての攻防があり、善玉と悪役との一騎討ちがあり……と、あまりネタバレになってもいけないのでこれくらいにしておくが、とにかく冒険活劇の要素がてんこ盛りで、本書は、テンポの良い展開とも相まって400ページ余りの物語を一気に読ませる。<br /><br />　もっとも、本書はヤングアダルト作品というよりジュブナイルに近く、純粋に小説として楽しもうという大人の読者には、きっと物足りないと感じられることだろう。人物造形や物語世界には深みがなく、展開にもやや一本調子なところがある。しかしちょっと見方を変えて、これをアニメ映画の原作と仮定してみると、本作は俄然面白みを増してくる。実を云うと評者は、この作品を読みながらずっと、いわゆる宮崎アニメの絵柄でそれぞれの場面を思い描いていた。するとこれが驚くほどぴたりとはまるのである。<br /><br />　はらはらどきどきの活劇シーンはもとより、神々の住む天上界を思わせるスカイシティの風景、対照的に薄暗く雑然とした地上の様子、そしてそこに住む貧しくも力強く生きる生活者たち、見るからに気のよさそうなアズの仲間たちに、逆にその容姿にさえ高慢さと悪意がにじみ出ている悪役たち。また登場人物の一人と見紛うばかりに活躍するくだんの探索機や、どこかスチームパンクを連想させるレトロな機械設備など、意匠のことごとくが宮崎アニメ的なイメージを喚起してやまない。人物造形や物語世界があっさりしていることも、アニメ映画の原作として見た場合には、むしろプラスに作用するのではないかとさえ思えてくる。<br /><br />　強いてスタジオジブリでとは云わないが、この作品がすぐれた監督と演出家の手によってアニメ化されたなら、きっと難しい話は抜きにして2時間たっぷり楽しませてくれる痛快な冒険映画になることだろう。そういう見方をすれば、本書もなかなかどうして捨てたものではない。<br /><br />　なお、以下は余談だが、この物語では、天空人たちの多くに、聖書の正典や偽典に登場する天使の名があてられている。主人公アズの父ガブリエル（Gabriel）と兄ミカエル（Michael）は、いずれもキリスト教・ユダヤ教の四大天使の名だし、アズの本名アザレルは"Azrael"と綴り、これは一般に「アズラエル」と呼ばれる、ユダヤ教・イスラム教において死をつかさどる天使の名である。<br /><br />　評者はこうした方面の知識に疎く、それゆえあまりわかったようなことは云えないのだが、こうしてみるとこの物語は、そのような天使についての聖典や伝承を、多少なりとも下敷きにしているのではないかと勘繰ることができる。少なくとも、それらを知っている欧米の読者には、こうした名前の付け方は、登場人物それぞれに対して、はじめから何かしらのイメージを抱かせることになるとみて間違いないだろう。<br /><br />　ただしそう考えた場合、ひとつ腑に落ちない点がある。というのは、評者には、この物語の主人公アズからは、上に挙げたアズラエルよりむしろ、同じくアズと略称される堕天使アザゼルの姿が連想されるのである。<br /><br />　アザゼル（Azazel）は、もともと位は低いが積極的な天使で、悪行を重ねる下界の人間たちを監視するため地上に派遣された天使団のリーダーだった。しかし彼は、そこで人間の妻をめとってしまい、さらに禁じられていた天上の知識を人間たちに授けてしまう。やがてそのことが神の逆鱗に触れ、ノアの方舟で知られる大洪水の引き金となり、アザゼルは永久に洞窟に幽閉される。<br /><br />　もちろん評者の無知ゆえの誤読・深読みである可能性は大いに認めるところだが、それでも評者には、主人公アズと堕天使アザゼルとに、どこか重なり合うところがあるように思えてならない。はたしてアズは、アズラエルなのかアザゼルなのか。本作では脇役たちの活躍ばかりが目立ち、肝心のアズからはおよそ主人公らしい存在感が伝わってこなかったが、本書はシリーズものの第一作であると聞いている。本書の続編以降に、アズ自身の存在意義が問われる展開があるのではないかと、評者は内心ちょっと期待している。<br /><br /><table cellspacing="0" cellpadding="0" border="0"><tbody><tr><td><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4488521045/meroppresver2-22/ref=nosim/" target="_blank"><img src="http://pliocene.up.seesaa.net/image/skycity.jpg" alt="スカイシティの秘密－翼のない少年アズの冒険" width="93" height="131" border="0" class="pict" /></a></td><td>スカイシティの秘密－翼のない少年アズの冒険<br />ジェイ・エイモリー, Jay Amory, 金原 瑞人, 圷香織<br />文庫本, 東京創元社, 2008/06<br /><br /><span style="font-size: 9pt">Amazon</span></td></tr></tbody></table><table cellspacing="0" cellpadding="0" border="0"><tbody><tr><td><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0575078782/meroppresver2-22/ref=nosim/" target="_blank"><img src="http://images-jp.amazon.com/images/P/0575078782.09._OU09_PE0_PC_SCTZZZZZZZ_.jpg" border="0" class="pict" alt="The Fledging of Az Gabrielson: The Clouded World Series Book One (The Clouded World)" /></a></td><td>The Fledging of Az Gabrielson:<br />The Clouded World Series Book One (The Clouded World)<br />Jay Amory<br />ハードカバー, Orion, 2006/08<br /><br /><span style="font-size: 9pt">Amazon</span></td></tr></tbody></table><br />※ 本書は<a href="http://www.buzz-pr.com/book/menu/" target="_blank">「本が好き！」</a>を通じて献本していただきました。
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      <category>書評 : 文芸（海外）</category>
      <author>佐吉</author>
                </item>
        <item>
      <title>目くらましの道 / ヘニング・マンケル [書評]</title>
      <link>http://pliocene.seesaa.net/article/101156923.html</link>
      <pubDate>Sat, 21 Jun 2008 00:23:01 +0900</pubDate>
            <description>目くらましの道 上ヘニング・マンケル, Henning Mankell, 柳沢由美子文庫本, 東京創元社, 2007/02/10Amazon 背骨や頭部を斧で叩き割り、さらに被害者の頭皮を剥ぎ取るという、常軌を逸した連続殺人事件。その犯人がわずか14歳の少年だとしたら、それはかなりショッキングな結末と云えるだろう。しかしこの作品では、そのことがはじめから読者に明かされている。物語の冒頭、最初の殺害の場面が、犯人と被害者の視点で描かれるのである。舞台はスウェーデン南部の小都市イースタ。少年は自宅の地下室で、神聖な儀式と入念な化粧によってアメリカ先住民に「変身」すると、フルフェイスのヘルメットに顔を包み、モペットで現...</description>
      <content:encoded><![CDATA[
<table cellspacing="0" cellpadding="0" border="0"><tbody><tr><td><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4488209068/meroppresver2-22/ref=nosim/" target="_blank"><img src="http://images-jp.amazon.com/images/P/4488209068.09._OU09_PE0_PC_SCTZZZZZZZ_.jpg" border="0" class="pict" alt="目くらましの道 上" /></a></td><td>目くらましの道 上<br />ヘニング・マンケル, Henning Mankell, 柳沢由美子<br />文庫本, 東京創元社, 2007/02/10<br /><br /><span style="font-size: 9pt">Amazon</span></td></tr></tbody></table><br />　背骨や頭部を斧で叩き割り、さらに被害者の頭皮を剥ぎ取るという、常軌を逸した連続殺人事件。その犯人がわずか14歳の少年だとしたら、それはかなりショッキングな結末と云えるだろう。しかしこの作品では、そのことがはじめから読者に明かされている。物語の冒頭、最初の殺害の場面が、犯人と被害者の視点で描かれるのである。舞台はスウェーデン南部の小都市イースタ。少年は自宅の地下室で、神聖な儀式と入念な化粧によってアメリカ先住民に「変身」すると、フルフェイスのヘルメットに顔を包み、モペットで現場に向かう。そして周到に準備された「任務」を、淡々と「遂行」するのである。<br /><br />　このように最初に犯人の側から犯行の様子を描き、その後、捜査陣が真相を究明する過程を綴ってゆく推理小説の形式は、一般に「倒叙（とうじょ）」と呼ばれ、マンケルの得意とする手法の一つである。マンケルは、サイコスリラーさながらの身の毛もよだつ殺害シーンの描写によって、読者をいきなり物語世界に引きずり込み、同時に犯人の異常な性格を強烈に印象づける。少年はなぜそんな犯行を重ねるのか、捜査陣はどうやってこの思いも寄らない結論に辿り着くのか。そう思った瞬間、読者はマンケルの術中にはまっている。あとは彼の巧みなストーリーテリングに導かれるまま、最後まで一気にページを繰り続けるしかない。<a name="more"></a><br/><br/>　本書は、風采の上がらない中年刑事クルト・ヴァランダーを主人公にした、マンケルの警察小説シリーズの5作目にあたる。CWA（英国推理作家協会）ゴールドダガー賞を受賞し、スウェーデン人作家マンケルの名を、一躍ヨーロッパ全土に知らしめた作品でもある。ヴァランダー・シリーズは、1991年から1999年にかけて9作が発表され、うち本作までの5作が邦訳されているが、この『目くらましの道』をもってシリーズの最高傑作とする声が高い。<br /><br />　美しい初夏の訪れに、夏の休暇を心待ちにしているイースタ署の面々。と、そこに、ある老農夫から自宅の畑に不審な人物がいるとの通報が入る。どうせ思い過ごしだろうと高を括っていたヴァランダーだったが、現場に着いてみると、確かに菜の花畑に一人の少女が立っている。何かにおびえている様子のその少女に、ヴァランダーは声をかけながら近づいてゆく。すると少女は、やおら頭からガソリンをかぶり、手にしたライターで自らに火をつけ、焼身自殺を遂げてしまう。<br /><br />　そうして平和な夏が一瞬にして悪夢に変わった。署員たちはすぐさま少女の身元を調べはじめるが、目の前で事件を目撃したヴァランダーはショックを隠せない。するとそこへ、署員たちの動揺に追い討ちをかけるように、殺人事件の一報が入る。政界を引退し、今は隠遁生活を送っている元法務大臣が、何者かによって惨殺されたというのである。イースタ署に戦慄が走る。しかしそれは、さらなる惨劇の序章にすぎなかった……。<br /><br />　犯人が最初からわかっている倒叙小説においては、多くの場合、いわゆる神の目線で見た主人公の推理の冴えと、追う側と追われる側の心理的駆け引きが大きな見どころになる。本書はもちろん、その点において一級品である。加えて本書には、すべての手がかりを読者にフェアに提示し、読者が主人公と平行して推理を進めてゆくことのできる本格ミステリの興趣がある。決して、犯人の些細なミスから足がつくなどといったチャチな捕り物ではない。自身到底信じられない結論にヴァランダーが辿り着くとき、読者はマンケルの仕掛けた伏線の巧妙さに、思わず唸らされるに違いない。<br /><br />　マンケルは、あくまで警察小説のプロットにおいて、普遍的な人間の懊悩と現代スウェーデン社会の暗部とを鮮明に提示してみせる作家である。身辺にさまざまな悩みを抱え、捜査の過程においても、凶悪犯罪に我がことのように心を痛めるヴァランダーの姿は、シリーズを通じて読者の共感を誘ってきた。本書ではさらに、殺人者たる少年の背負った十字架も激しく胸を打つ。二人の息詰まる対決は、最後まで読者を惹きつけつつ、哀しい余韻を残してゆく。本書は、警察小説というジャンルを超えて、永く記憶されるべき一冊である。<br /><br /><table cellspacing="0" cellpadding="0" border="0"><tbody><tr><td><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4488209076/meroppresver2-22/ref=nosim/" target="_blank"><img src="http://images-jp.amazon.com/images/P/4488209076.09._OU09_PE0_PC_SCTZZZZZZZ_.jpg" border="0" class="pict" alt="目くらましの道 下" /></a></td><td>目くらましの道 下<br />ヘニング・マンケル, Henning Mankell, 柳沢由美子<br />文庫本, 東京創元社, 2007/02/10<br /><br /><span style="font-size: 9pt">Amazon</span></td></tr></tbody></table><br /><FONT color="#79a4cc">■</FONT> 関連（するかもしれない）記事<br /><a href="http://pliocene.seesaa.net/article/100211121.html">タンゴステップ / ヘニング・マンケル　[書評]</a><br /><a href="http://pliocene.seesaa.net/article/38390838.html">最近の掘り出し物三冊　[読書日記]</a><br /><a href="http://pliocene.seesaa.net/article/89796040.html">恥辱 / カーリン・アルヴテーゲン　[書評]</a><br /><a href="http://pliocene.seesaa.net/article/36862047.html">喪失 / カーリン・アルヴテーゲン　[読書日記]</a>
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      <category>書評 : 文芸（海外）</category>
      <author>佐吉</author>
                </item>
        <item>
      <title>タンゴステップ / ヘニング・マンケル [書評]</title>
      <link>http://pliocene.seesaa.net/article/100211121.html</link>
      <pubDate>Wed, 11 Jun 2008 22:02:47 +0900</pubDate>
            <description>タンゴステップ 上下巻柳沢 由実子東京創元社1029円Amazonで購入書評/ミステリ・サスペンス ヘニング・マンケルは、一見冴えない中年刑事クルト・ヴァランダーを主人公にした警察小説のシリーズで知られる、スウェーデンの国民的作家である。ヴァランダー・シリーズは当初からスウェーデン国内及び北欧で高い評価を受けていたが、2001年、5作目の『目くらましの道』がCWA（英国推理作家協会）ゴールドダガー賞を受賞すると、一躍ヨーロッパ全土に浸透し、各国でのマンケルの人気を不動のものとした。ヴァランダー・シリーズはこれまでに35ヶ国で紹介され、累計2000万部以上の売り上げを記録しているという。 ただし本書は、そのヴァランダー・シリーズが一応の完結をみたあとに書かれた、シリーズ外の長編ミステリである。老境にさしかかったヴァランダーに代わって登場するのは、37歳独身の警察官ステファン・リンドマン。しかし、さまざまな悩みや弱さを抱えた主人公...</description>
      <content:encoded><![CDATA[
<span style="line-height : 0.6em;"><br/></span><a href="http://books-review.buzz-pr.com/archives/51150270.html" target="_blank"><img src="http://www.buzz-pr.com/img/covers/book600.jpg" height="120" border="0" class="pict2" align="left" />タンゴステップ 上下巻<br /></a><ul style="list-style:none;margin:0;padding:0;"><li style="list-style-type: disc;list-style-position:inside;">柳沢 由実子</li><li style="list-style-type: disc;list-style-position:inside;"><a href="http://www.buzz-pr.com/book/book/26/any/any/any/any/list.html">東京創元社</a></li><li style="list-style-type: disc;list-style-position:inside;">1029円</li></ul><a href="http://www.amazon.co.jp/gp/redirect.html%3FASIN=4488209084%26tag=meroppresver2-22%26lcode=xm2%26cID=2025%26ccmID=165953%26location=/o/ASIN/4488209084%253FSubscriptionId=090596K8VFHWK71V2782">Amazonで購入</a><br /><a href="http://www.buzz-pr.com/book/book/info600.html">書評</a>/<a href="http://www.buzz-pr.com/book/book/any/any/103/any/any/list.html">ミステリ・サスペンス</a><br /><img src="http://www.buzz-pr.com/img/isbn9784488209087.gif" /><script src="http://www.google-analytics.com/urchin.js" type="text/javascript"></script><script type="text/javascript">_uacct = "UA-918914-3";urchinTracker();</script><br clear="all"><br />　ヘニング・マンケルは、一見冴えない中年刑事クルト・ヴァランダーを主人公にした警察小説のシリーズで知られる、スウェーデンの国民的作家である。ヴァランダー・シリーズは当初からスウェーデン国内及び北欧で高い評価を受けていたが、2001年、5作目の<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4488209068/meroppresver2-22/ref=nosim/" target="_blank">『目くらましの道』</a>がCWA（英国推理作家協会）ゴールドダガー賞を受賞すると、一躍ヨーロッパ全土に浸透し、各国でのマンケルの人気を不動のものとした。ヴァランダー・シリーズはこれまでに35ヶ国で紹介され、累計2000万部以上の売り上げを記録しているという。<br /><br />　ただし本書は、そのヴァランダー・シリーズが一応の完結をみたあとに書かれた、シリーズ外の長編ミステリである。老境にさしかかったヴァランダーに代わって登場するのは、37歳独身の警察官ステファン・リンドマン。しかし、さまざまな悩みや弱さを抱えた主人公が、思いがけず不可解な事件に巻き込まれ、その背後に潜む巨悪に立ち向かうという、マンケルならではの物語の構図は、ヴァランダー・シリーズと変わらない。また犯罪捜査の過程を通して、等身大の個人の苦悩を描き、同時にスウェーデン社会の暗部を鮮やかに切り取ってみせる彼の手腕も健在である。<a name="more"></a><br/><br/>　舌ガンの宣告を受け、治療開始までの休暇を、死の恐怖と向き合いながら過ごしていたリンドマンは、かつて新米だった彼を指導し、その後退官して北部の僻地に独り暮らしていた元警察官ヘルベルト・モリーンが、何者かによって惨殺されたという新聞記事を目にする。警官時代、常に何かにおびえているようだったモリーン。彼の身にいったい何が起きたのか。目の前の現実から目を背けたいという心理も手伝って、リンドマンは一人かの地に赴く。<br /><br />　地元警察と協力しつつ、一方で独自に捜査を進めていたリンドマンは、モリーンに驚くべき過去があったことを知る。事件の背景に血塗られた歴史の闇が浮かんでくる。そんな矢先、捜査陣のすぐそばで第二の殺人事件が起こる。二つの事件にはどんな繋がりがあるのか。同一犯によるものか。それぞれの動機は何なのか。そして、モリーンの家に残されたタンゴステップの血の足跡が意味するものは……。<br /><br />　とは云うものの、第一の事件の犯人は、まだ序盤のその時点であっさり読者に明かされる。第二の事件が起こった直後から、第一の犯人の視点で語られた章が挿入されてゆくのである。<br /><br />　冒頭に犯行の場面が描かれることも含めて、一般に「倒叙（とうじょ）」と呼ばれるこの形式は、マンケルの作品においてしばしば見られる手法である。前作『目くらましの道』ではこれが特に効果的に用いられていて、同時進行する追う側と追われる側の丹念な心理描写に、サスペンスはいやがうえにも高まっていった。加えて本作では、その先にさらなる展開が待っている。同一犯の仕業として捜査を進める警察陣を尻目に、第一の事件の犯人もまた、彼自身の事情によって第二の犯人を追いはじめるのである。<br /><br />　そしてそこからが本書の圧巻である。切れ味鋭い文章と息つく暇もないスリリングな展開に、ページをめくる手を休める暇もあらばこそ、話は思いも寄らない方向に発展してゆく。スウェーデン社会、延いては世界全体に巣食う暗黒の歴史が次第にあらわになり、それと呼応するかのように、自らの心の内と向き合うリンドマンの懊悩が彼自身を苛んでゆく。<br /><br />　正直なところ、純粋にエンターテインメント作品として見た場合、マンケルの作品には多少の粗がないでもない。謎解きの過程において論理的説得力に乏しい展開が時折見られるし、登場人物の心理描写にもやや平板なところがある。しかし、あくまでそのエンターテインメントの文脈において、現代社会の暗闇と個人の心の痛みを鮮明に描いてみせる彼の筆致には、やはり驚嘆せずにいられない。ヴァランダー・シリーズで多くの読者を虜にしたマンケルの持ち味は、本書にも存分に発揮されている。<br /><br /><table cellspacing="0" cellpadding="0" border="0"><tbody><tr><td><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4488209084/meroppresver2-22/ref=nosim/" target="_blank"><img src="http://pliocene.up.seesaa.net/image/tango1.jpg" border="0" class="pict" alt="タンゴステップ 上" /></a></td><td>タンゴステップ 上<br />ヘニング・マンケル, Henning Mankell, 柳沢由実子<br />文庫本, 東京創元社, 2008/05/23<br /><br /><span style="font-size: 9pt">Amazon</span></td></tr></tbody></table><table cellspacing="0" cellpadding="0" border="0"><tbody><tr><td><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4488209092/meroppresver2-22/ref=nosim/" target="_blank"><img src="http://pliocene.up.seesaa.net/image/tango2.jpg" border="0" class="pict" alt="タンゴステップ 下" /></a></td><td>タンゴステップ 下<br />ヘニング・マンケル, Henning Mankell, 柳沢由実子<br />文庫本, 東京創元社, 2008/05/23<br /><br /><span style="font-size: 9pt">Amazon</span></td></tr></tbody></table><br />※ 本書は<a href="http://www.buzz-pr.com/book/menu/" target="_blank">「本が好き！」</a>を通じて献本していただきました。<br /><br /><FONT color="#79a4cc">■</FONT> 関連（するかもしれない）記事<br /><a href="http://pliocene.seesaa.net/article/101156923.html">目くらましの道 / ヘニング・マンケル　[書評]</a><br /><a href="http://pliocene.seesaa.net/article/38390838.html">最近の掘り出し物三冊　[読書日記]</a><br /><a href="http://pliocene.seesaa.net/article/89796040.html">恥辱 / カーリン・アルヴテーゲン　[書評]</a><br /><a href="http://pliocene.seesaa.net/article/36862047.html">喪失 / カーリン・アルヴテーゲン　[読書日記]</a>
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      <category>書評 : 文芸（海外）</category>
      <author>佐吉</author>
                </item>
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      <title>変愛小説集 / 岸本佐知子編訳 [書評]</title>
      <link>http://pliocene.seesaa.net/article/98870440.html</link>
      <pubDate>Sun, 01 Jun 2008 22:16:12 +0900</pubDate>
            <description>変愛小説集岸本佐知子編訳単行本, 講談社, 2008/05/08Amazon 柴田元幸の最新エッセイ集『それは私です』に、『自動翻訳のあけぼの』と題した文章がある。翻訳ソフトが長足の進歩を遂げ、ついにはさまざまな翻訳者のスタイルを再現できるソフトが登場するという妄想を描いた、SFショートショート風の文章なのだが、そのなかに思わず吹きだしそうになる一節がある。 文中で、その画期的なソフトはユーザーから熱烈に歓迎され、驚異的な売り上げを記録する。しかしやがて、ある思いもよらない事件を引き起こす。 昨年の夏、ディケンズの『オリヴァー・トゥイスト』の岸本佐知子訳を「新・訳太郎 Ver 4」で作成し、そのプリントアウトをホテルのプールサイドでのんびり読んでいた四十三歳の男性が、突然、無数の機関車が走っている幻覚に襲われたのである。（中略）男性は病院に収容され、一時は生命すら危ぶまれたが、どうにか回復すると、「岸本訳ディケンズを読んでいるうちに胸が苦しくなって幻覚が見えた」と、翻訳と症状のつながりを異様に強調した。 柴田の文章ではさらに、『「せめて鴻巣友季子訳にしていれば」といった翻訳ソフト評論家の間抜けなコメント』なども登場して、翻訳文学ファンの楽屋落ち的な笑いを誘う。しかしこれは、決して岸本の訳が奇妙奇天烈だということではない。この一節に妙なリアリティがあるのは、この人気翻訳家の訳書には、「小説とはこういうもの」という既成概念を覆すような、破天荒な作品ばかりが並んでいるからである。</description>
      <content:encoded><![CDATA[
<table cellspacing="0" cellpadding="0" border="0"><tbody><tr><td><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062145448/meroppresver2-22/ref=nosim/" target="_blank"><img src="http://images-jp.amazon.com/images/P/4062145448.09._OU09_PE0_PC_SCTZZZZZZZ_.jpg" border="0" class="pict" alt="変愛小説集" /></a></td><td>変愛小説集<br />岸本佐知子編訳<br />単行本, 講談社, 2008/05/08<br /><br /><span style="font-size: 9pt">Amazon</span></td></tr></tbody></table><br />　柴田元幸の最新エッセイ集<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/440321097X/meroppresver2-22/ref=nosim/" target="_blank">『それは私です』</a>に、『自動翻訳のあけぼの』と題した文章がある。翻訳ソフトが長足の進歩を遂げ、ついにはさまざまな翻訳者のスタイルを再現できるソフトが登場するという妄想を描いた、SFショートショート風の文章なのだが、そのなかに思わず吹きだしそうになる一節がある。<br /><br />　文中で、その画期的なソフトはユーザーから熱烈に歓迎され、驚異的な売り上げを記録する。しかしやがて、ある思いもよらない事件を引き起こす。<blockquote>　昨年の夏、ディケンズの『オリヴァー・トゥイスト』の岸本佐知子訳を「新・訳太郎 Ver 4」で作成し、そのプリントアウトをホテルのプールサイドでのんびり読んでいた四十三歳の男性が、突然、無数の機関車が走っている幻覚に襲われたのである。（中略）男性は病院に収容され、一時は生命すら危ぶまれたが、どうにか回復すると、「岸本訳ディケンズを読んでいるうちに胸が苦しくなって幻覚が見えた」と、翻訳と症状のつながりを異様に強調した。</blockquote>　柴田の文章ではさらに、『「せめて鴻巣友季子訳にしていれば」といった翻訳ソフト評論家の間抜けなコメント』なども登場して、翻訳文学ファンの楽屋落ち的な笑いを誘う。しかしこれは、決して岸本の訳が奇妙奇天烈だということではない。この一節に妙なリアリティがあるのは、この人気翻訳家の訳書には、「小説とはこういうもの」という既成概念を覆すような、破天荒な作品ばかりが並んでいるからである。<a name="more"></a><br/><br/>　本書は、その岸本佐知子が選んだ、恋愛にまつわる現代英米文学のアンソロジーである。だが（もちろん）ただの恋愛小説集ではない。狂おしいまでの恋心を描いていながら、その対象は近所の家の庭の木だったり、妹のバービー人形だったり。不倫相手の男を丸呑みにし、体内で飼いならす人妻の話があるかと思えば、皮膚が次第に宇宙服に変わってゆき、最後には宇宙に飛び立ってしまうという奇病に冒された夫婦の話があったり。さらには自分の母親を「攻略」するためのハウツーものに、飛行船に連れ去られた恋人をどこまでも追い続ける男の冒険譚。本書はまさに、岸本ならではの奇想天外な「変愛」小説がぎっしり詰まった一冊なのである。<br /><br />　実を云うと評者は、普段あまり恋愛小説を読まない。だがその貧しい読書経験を根拠に云えば、いわゆる恋愛小説においては、たとえそれがどのような愛の形を描いていようと、恋愛そのものについては大抵、美しいもの、強いもの、尊いものといった、絶対的な肯定が前提にあるように思う。たとえば禁断の愛や背徳の愛を描いていても、愛そのものは紛うかたなく美しい。少なくとも評者は、恋愛小説というものにどこかそんなイメージを抱いているところがある。<br /><br />　ところが本書においては、そうした前提がまったくと云っていいほど成り立たない。なにしろ木に想いを寄せたり、人形にときめいたり、愛しさあまって相手を丸呑みにしたりする話なのである。これが「恋愛」とよべるのだろうか、と戸惑う読者がいても不思議ではない。<br /><br />　けれど、そうして先入観から自由になれる所為か、これらの作品を読むと、恋愛小説の苦手な評者にも、登場人物たちの純粋で切実な思いが、不思議と生々しく伝わってくるのである。どれもがとびきり常軌を逸した設定なのに、なぜか心の奥深いところを揺らしてゆく。過剰に美化された恋愛があふれる世の中にあって、これらの奇妙な作品たちは、読者に恋愛という感情とニュートラルに向き合うことを可能にしてくれているのではないか、そんな気がする。<br /><br />　本書で取り上げられた作家には、日本ではあまり馴染みのない名前が多い。邦訳がまだ一冊も刊行されていない作家も何人かいる。本書に収められたそれぞれの作品を読むと、いきおい彼らの他の作品も読んでみたくなる。もちろん辞書を片手に原書と格闘するという手もあるのだが、ここはやはりまた岸本訳で読んでみたい。そう思うのはきっと評者一人ではないだろう。仮にそうしたときに、目の前に無数の機関車の幻影が現れるのなら、いいだろう、望むところだ。<br /><br /><FONT color="#79a4cc">■</FONT> 関連（するかもしれない）記事<br /><a href="http://pliocene.seesaa.net/article/17692511.html">気になる部分 / 岸本佐知子　[読書日記]</a><br /><a href="http://pliocene.seesaa.net/article/37030109.html">空中スキップ / ジュディ・バドニッツ　[書評]</a><br /><a href="http://pliocene.seesaa.net/article/8028883.html">エドウィン・マルハウス / スティーヴン・ミルハウザー　[書評]</a><br /><a href="http://pliocene.seesaa.net/article/5142518.html">フェルマータ / ニコルソン・ベイカー　[書評]</a><br /><a href="http://pliocene.seesaa.net/article/5142519.html">もしもし / ニコルソン・ベイカー　[書評]</a><br /><a href="http://pliocene.seesaa.net/article/5142520.html">中二階 / ニコルソン・ベイカー　[書評]</a>
]]><![CDATA[
]]></content:encoded>
      <category>書評 : 文芸（海外）</category>
      <author>佐吉</author>
                </item>
        <item>
      <title>償い / 矢口敦子 [読書日記]</title>
      <link>http://pliocene.seesaa.net/article/96617577.html</link>
      <pubDate>Tue, 13 May 2008 22:39:15 +0900</pubDate>
            <description>償い矢口敦子文庫本, 幻冬舎, 2003/06Amazon 36歳の医師・日高は子供の病死と妻の自殺で絶望し、ホームレスになった。流れ着いた郊外の街で、社会的弱者を狙った連続殺人事件が起き、日高はある刑事の依頼で「探偵」となる。やがて彼は、かつて自分が命を救った15歳の少年が犯人ではないかと疑い始めるが……。絶望を抱えて生きる二人の魂が救われることはあるのか？ 感動の長篇ミステリ。（カバーの紹介文より） 当初はほとんど注目されなかったこの作品が、ここにきて急に再評価されるようになったとかで、なるほど近頃どこの書店に行っても、派手なPOPとともにこの青い表紙が目に留まる。当然ご存知の方も多いと思うが、佐吉もそんな「不思議な現象」に興味を覚え、はじめての著者なのにろくに立ち読みもせず、本書を買い求めたのだった。 しかしいきなり率直な感想を云ってしまえば、佐吉には、この作品のどこがそんなに良いのかさっぱりわからなかった。床に叩きつけたくなるような駄作というのではないが、これといっ...</description>
      <content:encoded><![CDATA[
<table cellspacing="0" cellpadding="0" border="0"><tbody><tr><td><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4344403770/meroppresver2-22/ref=nosim/" target="_blank"><img src="http://images-jp.amazon.com/images/P/4344403770.09._OU09_PE0_PC_SCTZZZZZZZ_.jpg" border="0" class="pict" alt="償い" /></a></td><td>償い<br />矢口敦子<br />文庫本, 幻冬舎, 2003/06<br /><br /><span style="font-size: 9pt">Amazon</span></td></tr></tbody></table><br /><blockquote>　36歳の医師・日高は子供の病死と妻の自殺で絶望し、ホームレスになった。流れ着いた郊外の街で、社会的弱者を狙った連続殺人事件が起き、日高はある刑事の依頼で「探偵」となる。やがて彼は、かつて自分が命を救った15歳の少年が犯人ではないかと疑い始めるが……。絶望を抱えて生きる二人の魂が救われることはあるのか？ 感動の長篇ミステリ。（カバーの紹介文より）</blockquote>　当初はほとんど注目されなかったこの作品が、ここにきて急に再評価されるようになったとかで、なるほど近頃どこの書店に行っても、派手なPOPとともにこの青い表紙が目に留まる。当然ご存知の方も多いと思うが、佐吉もそんな「不思議な現象」に興味を覚え、はじめての著者なのにろくに立ち読みもせず、本書を買い求めたのだった。<br /><br />　しかしいきなり率直な感想を云ってしまえば、佐吉には、この作品のどこがそんなに良いのかさっぱりわからなかった。床に叩きつけたくなるような駄作というのではないが、これといって評価すべきところの見当たらない、ひどく凡庸な作品としか思えなかった。この小説がなぜそれほどまでに絶賛されているのか……。以下、今回はあくまで感想文として、佐吉の感じたことを思いつくままに綴ってみる。なお、以下には多少「ネタバレ」がある。先におことわりしておく。<a name="more"></a><br/><br/>　まずこの作品は文章が未熟だ。そう云って語弊があるならライトノベルのようだと云い換えてもいい。決して生硬というのではないが、どことなく文芸サークルの同人小説でも読んでいるような素人くささを感じる。登場人物ではなく語り手がしばしば意見や感想を差し挟むのにも鼻白む。あるいは若い読者なら、それを親しみやすく読みやすいと好意的に評価することもできるのかもしれないが、少なくとも佐吉は、扱っているテーマの大きさに比べて稚拙だという印象を受けた。<br /><br />　次に登場人物の存在感が薄い。主役の二人をはじめ、物わかりのいい叩き上げの老刑事、キャリア組のその上司など、ほとんどの登場人物がひどくステレオタイプで、あまり練られているように思えない。極端な云い方をすれば、プロットを進めるための単なる駒にしか見えず、リアルな人物像が立ち上がってこない。<br /><br />　またそのプロットにしても、話のテンポが良いことは認めるが、都合の良い展開が多すぎてどうにも興が乗らない。一介のホームレスに警察があれこれ便宜を図る、またホームレスが警察の捜査に介入するなど、かなり無理のある展開も少なくない。人生に絶望してホームレスになったはずの主人公が、自分には直接関係のない事件の捜査に奔走する姿には、「おいおい」とツッコミを入れたくなるし、厳冬期にホームレスが、寝袋一つで行き当たりばったりにねぐらを探したりしていたら、たちまち凍死してしまうことくらい、ちょっと取材すればわかるはずだ。仮にも小説なら、そうした部分で読者をしらけさせないための準備や工夫が、もっとあって然るべきではないだろうか。世の中、思いつきだけの筋書きに、黙って付いてきてくれる素直な読者ばかりではない。<br /><br />　さらに、読者に「こいつが犯人だろう」と思わせておいて、最後に「あっと驚くどんでん返し」というのがミステリの定石だとしても、中盤、少年が犯人ではないかと匂わせるそのやり方が強引すぎて閉口する。また一方で、妙に読者に親切なところがあって、実に気前良くヒントがちりばめられているため、誰が真犯人なのかがかなり早い段階で読めてしまう。それでいて最後の種明かしは、決してすっきりしたものではなく、むしろこじつけのような印象が残る。<br /><br />　本書の帯には「人の肉体を殺したら罰せられるのに、人の心を殺しても罰せられないのですか？」という作中の印象的な台詞が引用されている。このフレーズに象徴されるように、「贖罪」と「救済」がこの作品の大きなテーマである。巷間での評判も、多くはそのテーマの描き方に対してのもののようだ。だがその描き方にしても、やはり消化不良の感が否めない。<br /><br />　そもそも主人公がトラウマや過去の暗い記憶と向き合う話はさほど珍しいものではない。ミステリに限っても、そうした話はこれまでにごまんと書かれている。然るにこの作品においては、主人公や少年の心の闇の発端が呆れるほど陳腐だし、それに対峙する彼らの内面の描き方も、ステレオタイプの範疇を出ていない。むろん話に納得はいくのだが、それが心に響くかどうかは、また別の話である。<br /><br />　大風呂敷を広げてはみたものの手に余り、結局ありきたりな落としどころに落ち着いただけ。一言で云えばそんな印象の作品である。「傑作を書いてやろう」という意気込みのようなものは窺えるのだが、筆力がそれに追いついていない。それがため、単に頭の中でこねくり回しただけの「おはなし」になってしまっている。佐吉にはそんなふうに思えた。<br /><br />　読みながら何度も「これってライトノベルじゃないのか？」とカバーを見返した。が、もちろんそうではなかった。逆にこれが、アニメ調のカバーに本文にもイラストを挿入した、純然たるライトノベルとして上梓されていたなら、佐吉にしても「粗は目立つが、大人が読んでもそれなりに楽しめる」などと評価したかもしれないのだが……。<br /><br /><table cellspacing="0" cellpadding="0" border="0"><tbody><tr><td><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4344001052/meroppresver2-22/ref=nosim/" target="_blank"><img src="http://images-jp.amazon.com/images/P/4344001052.09._OU09_PE0_PC_SCTZZZZZZZ_.jpg" border="0" class="pict" alt="償い" /></a></td><td>償い<br />矢口敦子<br />単行本, 幻冬舎, 2001/07<br /><br /><span style="font-size: 9pt">Amazon</span></td></tr></tbody></table>
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]]></content:encoded>
      <category>読書日記 : 文芸（国内）</category>
      <author>佐吉</author>
                </item>
        <item>
      <title>「書評の鉄人」に選出されました！ [雑記帖]</title>
      <link>http://pliocene.seesaa.net/article/93036505.html</link>
      <pubDate>Fri, 11 Apr 2008 21:57:29 +0900</pubDate>
            <description>世界は「使われなかった人生」であふれてる沢木耕太郎文庫本, 幻冬舎, 2007/04Amazon タイトルにもあるとおり、このたび佐吉は、オンライン書店ビーケーワン（以下、bk1）の「書評の鉄人」に選出されました！ ヽ(^▽^ ノ ﾜｰｲ もっとも、いきなりそんなことを云われても、何のことかさっぱりわからないという方もいらっしゃるでしょうから、まずはひと通り事情をご説明  (ゝ_∂ b bk1 には、Amazon のカスタマーレビューと同様、ユーザーが書評を投稿できるシステムがある。そしてさらにサイト内に「書評ポータル」というページがあって、毎週金曜に更新されるそのページで、「今週のオススメ書評」10本をはじめ、その週に投稿された書評のうちからユニークなものをいくつか紹介している。</description>
      <content:encoded><![CDATA[
<table cellspacing="0" cellpadding="0" border="0"><tbody><tr><td><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4344409426/meroppresver2-22/ref=nosim/" target="_blank"><img src="http://images-jp.amazon.com/images/P/4344409426.09._OU09_PE0_PC_SCTZZZZZZZ_.jpg" border="0" class="pict" alt="世界は「使われなかった人生」であふれてる" /></a></td><td>世界は「使われなかった人生」であふれてる<br />沢木耕太郎<br />文庫本, 幻冬舎, 2007/04<br /><br /><span style="font-size: 9pt">Amazon</span></td></tr></tbody></table><br />　タイトルにもあるとおり、このたび佐吉は、<a href="http://www.bk1.jp/" target="_blank">オンライン書店ビーケーワン</a>（以下、bk1）の「書評の鉄人」に選出されました！ ヽ(^▽^ ノ ﾜｰｲ<br /><br />　もっとも、いきなりそんなことを云われても、何のことかさっぱりわからないという方もいらっしゃるでしょうから、まずはひと通り事情をご説明  (ゝ_∂ b<br /><br />　bk1 には、Amazon のカスタマーレビューと同様、ユーザーが書評を投稿できるシステムがある。そしてさらにサイト内に<a href="http://www.bk1.jp/contents/shohyou/Index" target="_blank">「書評ポータル」</a>というページがあって、毎週金曜に更新されるそのページで、「今週のオススメ書評」10本をはじめ、その週に投稿された書評のうちからユニークなものをいくつか紹介している。<a name="more"></a><br/><br/>　書評が「オススメ書評」に選ばれた評者は「オススメ評者」に登録され、さらに「オススメ書評」を重ねると「書評の鉄人」に選出される。「鉄人」に選ばれるには、書評の内容はもちろんだが、それなりの数も必要らしい。佐吉の見立てでは、ある程度のレベルの書評を、最低10本は投稿しなければならないようだ。<br /><br />　佐吉は2月に書評を投稿し始めた。内容は基本的にこのブログに載せているものと同じ。ただしむこうは字数制限があるので、ほとんどの場合それに若干手を加えている。<br /><br />　初めて投稿した<a href="http://www.bk1.jp/review/0000464160" target="_blank">『家守綺譚』の書評</a>は箸にも棒にもかからなかった。が、2本目の<a href="http://www.bk1.jp/review/0000464448" target="_blank">『煙る鯨影』の書評</a>が「オススメ書評」に選ばれた。思いも寄らないことだった。佐吉が投稿を始めたのは、こんな閑古鳥でさえ愛想を尽かしそうな辺鄙なブログに書くより、bk1に投稿したほうがよっぽど多くの人の目に触れるだろうという理由からだったのだが、それで佐吉も欲が出た。さらに投稿を重ね、6本目の<a href="http://www.bk1.jp/review/0000464931" target="_blank">『恥辱』の書評</a>で2度目の「オススメ書評」をげっと。そして今週、通算10本目と11本目の書評を投稿して、めでたくというか目論見どおりというか、「書評の鉄人」に選出されたのである。<br /><br />　新鉄人は、<a href="http://www.bk1.jp/contents/shohyou/tetsujin" target="_blank">「書評の鉄人」</a>のページで紹介される。そこでの文芸書担当者さんによる佐吉の紹介文は、こんな感じだった。<blockquote>新鉄人誕生！“佐吉”さん<br /><br />“佐吉”さんは、文芸書を中心に書評を書かれている方です。緻密な分析の中に作品への深い愛情が感じられます。内容紹介も丁寧で、「読む気」にさせてくれる滋味溢れる文章です。</blockquote>　「滋味溢れる」なんて佐吉も使ったことのない形容詞にはちょっと照れちゃうけど、それにしても、「緻密な分析」に「深い愛情」、そして「内容紹介も丁寧」で「読む気にさせてくれる」か。なるほど、さすがは文芸書担当者、いいとこ突いてるなあ。<br /><br />　……って、いや、別に自画自賛してるわけじゃなくて、ほら、たまにどこかで自分のブログを紹介したりするときとかあるじゃない？ そういうときって、自分の書評をなんて説明したらいいか、いっつも悩んじゃうのよね。普段、他人様の文章について云いたい放題云ってるくせに、じゃあ自分の文章はどんなんだって聞かれると、ちっともうまい言葉が浮かんでこなくて答えに詰まっちゃう。けど上の紹介文は、多分にお世辞が入っているにせよ、佐吉の書評の特徴を実に端的に云い表してるなあ、と、佐吉は感心、いや、脱帽したのでした。<br /><br />　以前にもここで書いたんだけど、佐吉が書評を書くようになったきっかけは、沢木耕太郎の『世界は「使われなかった人生」であふれてる』という映画評の本だった。この本のあとがきで、沢木はこんなことを云っている。<blockquote>　この「映画評」が批評でないのは無論のこと、もしかしたら感想文ですらないのかもしれない。私にとってこの一連の文章を書く作業は、心地よい眠りのあとで楽しかった夢を反芻するようなものだった。<br /> <br />　私は、その夢がどのように楽しかったかを説明する前に、まずその夢がどのようなものだったかを説明したかった。いや、その夢がどのようなものだったかを上手に説明することができれば、それが楽しさを説明することになると思っていたところもある。<br /> <br />　ともあれ、大事なことはその「夢」の面白さが読み手にうまく伝わることである。読んだあとで、これはぜひ自分でも見てみたいと思うようなものが一つでも二つでもあれば嬉しいのだが。</blockquote>　佐吉はこの一節を、書評を書くうえでの座右の銘にしていると云っていい。何より大事なのは、それが何なのかを伝えること。そして沢木の云うように、そのことを上手く伝えることができれば、それがなぜ面白かったのかも、それを佐吉がどう面白いと感じたかも、おのずと伝わるはずだ。そのうえで、ならば自分も読んでみようと思う人が一人でもいれば、評者としてこんなにうれしいことはない。もちろん佐吉の駄文など、沢木の文章とは比ぶべくもないけど、書評を書く際には、常にこの一節を念頭に置いてきたつもりだ。そんなわけで佐吉は、上のbk1での紹介文に、少なくとも、ずっと見据えていた方向から足を踏み外してはいなかった、と云ってもらえたようで、よく書いてもらったからという以上に感激した、というわけなのでした。<br /><br />　実は昨夜、この雑記とほぼ同じことをmixi日記にも書いた。冗談の入り込む隙もなさそうなこのブログと違って、佐吉はmixi日記にはバカなことばかり書いている。それをのぞいた細君の康文曰く、「書評の鉄人、日記は別人」。<br /><br />　はあ、左様ですか…… (-_-;;;<br /><br /><FONT color="#79a4cc">■</FONT> 関連（するかもしれない）記事<br /><a href="http://pliocene.seesaa.net/article/5142517.html">世界は「使われなかった人生」であふれてる / 沢木耕太郎　[書評]</a><br /><a href="http://pliocene.seesaa.net/article/6026495.html">読書感想文？ 読書感想文はここにはないよぉ　[雑記帖]</a>
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      <category>雑記帖</category>
      <author>佐吉</author>
                </item>
        <item>
      <title>納棺夫日記 増補改訂版 / 青木新門 [書評]</title>
      <link>http://pliocene.seesaa.net/article/92589950.html</link>
      <pubDate>Mon, 07 Apr 2008 23:00:18 +0900</pubDate>
            <description>納棺夫日記 増補改訂版青木新門文庫本, 文藝春秋, 1996/07Amazon 本書は、富山県で葬儀社に勤め、遺体を拭き清め棺に納める仕事に就いていた著者が、その「納棺夫」としての日々と、それを通して思い巡らせた生と死についての哲学的論考を、澄明かつ力強い文章で綴った一冊である。本編は3つの章から成っており、もともと地方出版社から刊行されたものを文庫化した本書には、それに加えて「『納棺夫日記』を著して」という後日談が収められている。 著者の青木新門はかつて、東京の大学を中退し、故郷の富山でスナックを経営するかたわら詩や小説を書いていた。その頃たまたま店...</description>
      <content:encoded><![CDATA[
<table cellspacing="0" cellpadding="0" border="0"><tbody><tr><td><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4167323028/meroppresver2-22/ref=nosim/" target="_blank"><img src="http://images-jp.amazon.com/images/P/4167323028.09._OU09_PE0_PC_SCTZZZZZZZ_.jpg" border="0" class="pict" alt="納棺夫日記 増補改訂版" /></a></td><td>納棺夫日記 増補改訂版<br />青木新門<br />文庫本, 文藝春秋, 1996/07<br /><br /><span style="font-size: 9pt">Amazon</span></td></tr></tbody></table><br />　本書は、富山県で葬儀社に勤め、遺体を拭き清め棺に納める仕事に就いていた著者が、その「納棺夫」としての日々と、それを通して思い巡らせた生と死についての哲学的論考を、澄明かつ力強い文章で綴った一冊である。本編は3つの章から成っており、もともと地方出版社から刊行されたものを文庫化した本書には、それに加えて「『納棺夫日記』を著して」という後日談が収められている。<br /><br />　著者の青木新門はかつて、東京の大学を中退し、故郷の富山でスナックを経営するかたわら詩や小説を書いていた。その頃たまたま店に立ち寄った作家の吉村昭に見出され、彼が編集委員を務める同人誌に小説を発表し、評判を得たこともあった。しかし、ならばと色気を出して書いた2作目以降は惨憺たる出来で作家になる目処は立たず、やがて経営していたスナックも倒産する。借金に追われ、夫婦喧嘩が絶えなくなり、それでもなお原稿用紙に向かい続ける夫に、生まれたばかりの娘のドライミルクを買う金もないと、妻は新聞を投げつける。床に落ちたその新聞にあった求人広告が、著者が「納棺夫」となるきっかけだった。どんな仕事なのかもわからぬまま、青木はその求人に応募した。<a name="more"></a><br/><br/>　本編の第1章「みぞれの季節」には、世間から忌み嫌われる仕事に就いた著者の、困惑と葛藤の日々が綴られている。<br /><br />　妻には「穢らわしい」と罵倒され、叔父には「一族の恥」と絶交を云い渡され、また、ひたすら金のために仕事をする僧侶や火葬場の職員を目にして、自身当惑しながら仕事を続けていた著者は、ある日、かつての恋人の父親を納棺することになる。当時何度も会ってくれと云われながら、結局会うことのなかった父親の遺体を湯灌する著者に、彼女は何も云わず、目に涙を溜めて、額の汗を拭き続けてくれた。その行為に自分のすべてが認められたと感じた彼は、人の死やそれに関わる職業をタブー視する社会通念が、誰より自分の中に根深く巣食っていたことに気づき、まず自分自身の考えを改めなければと、服装や礼儀にも気を配り、真摯な態度をもって「納棺夫に徹する」ようになる。そんな著者に、次第に、生と死がみぞれの中の雨と雪のように分かちがたいものであるという考えが芽生えてくる。<br /><br />　第2章「人の死いろいろ」では、そうして死と真っ直ぐ向き合うことを決意した著者が、納棺の仕事を通じて経験した、さまざまな人の死の様相が描かれる。<br /><br />　轢死体や縊死体の処理に呼ばれ、蛆の湧いた独居老人の遺体を納棺し、死の直前まで延命装置に囲まれぶよぶよになった死体に触れては現在の末期医療のあり方に思いを致す。そうして毎日死者と接するうち、著者は死者の安らかな表情に美しさを見いだすようになり、一方で生に執着し死を忌避する生者の視線を醜悪と感じるようになる。いくつもの俗信や迷信がないまぜになった葬送儀礼の矛盾に疑問を抱き、その背後に著者は、もっぱら生者の視点から死を解釈しようとする人間の我執を見て取る。<br /><br />　そしてなにより圧巻なのが、第3章「ひかりといのち」である。<br /><br />　癌で他界した作家の高見順が、あるいは『飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ』の井上和清医師が、死を受け入れた瞬間、この世のあらゆるものが光り輝いて見えたと記している。そして著者もまた、他者の死を見つめる日々の中で、そうした光の残映のような微光を感じるようになる。<br /><br />　著者の感じた不思議な光をもっとも明快に解き明かしてくれたのは親鸞だった。親鸞の思想は、親鸞自身が体験した光現象に基づいた、きわめて実践的なものだったのである。著者はこの章において、その親鸞との出会いをとことん掘り下げてゆく。宮沢賢治や金子みすずの詩、分子生物学や量子物理学、宇宙論、そしてさまざまな仏教思想など、彼の広範な読書体験に裏打ちされた多様な知見を引き合いに出し、彼自身の生と死を見つめる眼差しを、深く、真摯に、ダイナミックに展開してゆく。生と死が限りなく近づいたときに起こるこの光現象を体験すると、人は生への執着や死への恐怖から解放され、この世のあらゆるものへの感謝の気持ちに包まれる。それは生と死という二分法を越えた視点から「生死」を感得することである、と。<br /><br />　ただし「『納棺夫日記』を著して」によると、『納棺夫日記』について読者から寄せられた声は、おおまかに、とりわけ第3章に感銘を受けたというものと、第1章、第2章には感動したが、第3章はついていけなかったというものとに分かれたという。<br /><br />　たしかに第3章は一読ですんなり理解できる内容ではない。難解というのではないが、著者が生と死を見つめていった経緯をありのままに綴ったこの章は、一つの結論に向かって理路整然と語るという性格の文章ではなく、加えて聞き慣れない仏教用語もしばしば登場する。評者もこの章を理解するには何度か読み返さなければならなかった。<br /><br />　そもそもここで語られている光現象は、いみじくも著者本人が云っているように、あくまで実体験から感得するものであって、言葉で伝えられるものではない。この章が論理的に理解できたからといって、著者の云う光がどのようなものであるかが感じ取れるわけではない。彼自身そのことを承知のうえで、理屈ではなく感動によって彼の感じた光の残映なりとも伝えようとしたのが本書だと云うことができる。だから第1章、第2章から何かを感じ取るだけでも、本書を読む意味は充分にあるはずである。が、評者はやはり、本編第3章こそがもっとも深い洞察に満ちていると記しておきたい。わかりにくければ何度でも読み返せばいい。本書はそうするだけの価値のある一冊である。<br /><br /><FONT color="#79a4cc">■</FONT> 関連（するかもしれない）記事<br /><a href="http://pliocene.seesaa.net/article/42228512.html">死ぬための教養 / 嵐山光三郎　[読書日記]</a><br /><a href="http://pliocene.seesaa.net/article/5142521.html">死んでいる / ジム・クレイス　[書評]</a>
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]]></content:encoded>
      <category>書評 : 文芸（国内）</category>
      <author>佐吉</author>
                </item>
        <item>
      <title>自分の体で実験したい-命がけの科学者列伝 / レスリー・デンディ他 [書評]</title>
      <link>http://pliocene.seesaa.net/article/91393160.html</link>
      <pubDate>Fri, 28 Mar 2008 22:51:34 +0900</pubDate>
            <description>自分の体で実験したい－命がけの科学者列伝レスリー・デンディ, メル・ボーリング, 梶山あゆみ単行本, 紀伊國屋書店, 2007/02Amazon あるいはカバー（ジャケット）のイラストから、自作の翼で空を飛べると信じ、高い崖や塔の上から飛び降りたタワージャンパーたちのように、自説を過信するあまり無謀な実験を試みたトンデモ科学者の話かと思う人もあるかもしれない。が、そうではない。本書は、ときに自らの生命にさえかかわる危険な実験に挑むことによって、新たな知見を拓いた科学者たちの逸話を綴った、いたって真面目な科学系の読み物である。原題は “Guinea Pig Scientists（モルモット科学者たち）”。もともとは青少...</description>
      <content:encoded><![CDATA[
<table cellspacing="0" cellpadding="0" border="0"><tbody><tr><td><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4314010215/meroppresver2-22/ref=nosim/" target="_blank"><img src="http://images-jp.amazon.com/images/P/4314010215.09._OU09_PE0_PC_SCTZZZZZZZ_.jpg" border="0" class="pict" alt="自分の体で実験したい－命がけの科学者列伝" /></a></td><td>自分の体で実験したい－命がけの科学者列伝<br />レスリー・デンディ, メル・ボーリング, 梶山あゆみ<br />単行本, 紀伊國屋書店, 2007/02<br /><br /><span style="font-size: 9pt">Amazon</span></td></tr></tbody></table><br />　あるいはカバー（ジャケット）のイラストから、自作の翼で空を飛べると信じ、高い崖や塔の上から飛び降りたタワージャンパーたちのように、自説を過信するあまり無謀な実験を試みたトンデモ科学者の話かと思う人もあるかもしれない。が、そうではない。本書は、ときに自らの生命にさえかかわる危険な実験に挑むことによって、新たな知見を拓いた科学者たちの逸話を綴った、いたって真面目な科学系の読み物である。原題は “Guinea Pig Scientists（モルモット科学者たち）”。もともとは青少年向けに書かれたもので、2006年に全米科学教師会主催の「優れた子ども向け一般科学書に贈られる賞」を受賞している。<br /><br />　本書には、18世紀から現代にかけて、文字どおり自分の身体で実験をした科学者たちのエピソード10例が紹介されている。人間はどれだけの高温に耐えられるかを探ろうと、100度を超える室内に身を置いたジョージ・フォーダイス。消化の仕組みを調べるため、食物を入れた亜麻布の袋や木の筒を次々に飲み込んだラザロ・スパランツァーニ。ペルーいぼ病の謎を解明すべく、自ら病原菌に感染したダニエル・カリオン……。<a name="more"></a><br/><br/>　彼らの中には、そうした実験によってノーベル賞を受賞した人もいれば、あえなく命を落とした人もいる。しかしここに紹介された事例は、そのいずれもが近代科学史に偉大な足跡を残した実験である。長年放射能に身をさらしながら、ラジウムを発見し、放射線療法の礎を築いたキュリー夫妻の話も収められている。真理を探究するため、あるいは病気に苦しむ人々を救うため、自らを犠牲にすることも厭わなかった彼らの、科学者として、また人間としての気高さに、読者の誰もが心を打たれずにはいられないだろう。<br /><br />　しかし云うまでもなく、科学史にその名を深く刻んでいるのは彼らだけではない。自分の身体で実験しなかった人たちの中にも、探究心や人類愛にあふれ、偉大な業績を残した科学者は大勢いる。そしてそうした科学者たちについても数々の評伝が書かれ、それらもまた多くの読者に感銘を与えてきた。本書は決して、彼ら「モルモット科学者」たちが、人間性においてことさら秀でていたと云おうとしているのではない。「自分の身体で実験した科学者たち」という括りによって、彼らの崇高さを読者に強く印象づけることのほかに、本書にはもうひとつ重要な意義がある。<br /><br />　あくまで評者個人の読書体験を拠り所に云うのだが、一般向け、とりわけ青少年向けに書かれた科学者の伝記は、なにより彼らの人物像を伝えることに重きを置くものである。それゆえ彼らの人となりや生い立ちを伝えることには多くの頁を費やすものの、研究の内容や実験手法については通り一遍の説明にとどまっていることも珍しくない。いきなり学術用語や難解な理論を持ち出されても、素人や若年の読者は戸惑うばかりだろうし、必ずしもそうした内容を理解しなければ彼らの人物像が掴めないというものでもない。科学書としてはともかく、伝記としてはそれで充分なのである。<br /><br />　然るに本書は、ほかでもない彼らのとった実験手法にスポットを当てている。それぞれの科学者の人間性は、彼らの実験手法にこそもっとも色濃く表れ、まさにその実験の現場で数々のドラマが演じられている。本書は、そのように自然科学自体がひどく人間くさい営みであることを示し、そうすることによって、科学者たちの姿勢や生き方だけでなく、自然科学そのものにも読者の関心を向けさせている。そうした側面もまた、本書について特筆すべき点だろう。<br /><br />　本書に紹介された事例は、いずれも平易な文章で書かれていて、専門的な知識がなくても充分にその内容が理解できる。それぞれの物語を、ことさらドラマチックに描くのでなく、いかにも科学系の読み物らしい淡々とした語り口で伝えている点にも好感が持てる。大人にも子どもにもお薦めしたい良書である。<br /><br /><table cellspacing="0" cellpadding="0" border="0"><tbody><tr><td><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0805073167/meroppresver2-22/ref=nosim/" target="_blank"><img src="http://images-jp.amazon.com/images/P/0805073167.09._OU09_PE0_PC_SCTZZZZZZZ_.jpg" border="0" class="pict" alt="Guinea Pig Scientists: Bold Self-experimenters In Science And Medicine" /></a></td><td>Guinea Pig Scientists: Bold Self-experimenters In Science And Medicine<br />Leslie A. Dendy, Mel Boring, C. B. Mordan<br />ハードカバー, Henry Holth & Co, 2005/06<br /><br /><span style="font-size: 9pt">Amazon</span></td></tr></tbody></table>
]]><![CDATA[
]]></content:encoded>
      <category>書評 : 趣味・教養 他</category>
      <author>佐吉</author>
                </item>
        <item>
      <title>翻訳家の仕事 / 岩波書店編集部編 [書評]</title>
      <link>http://pliocene.seesaa.net/article/90203088.html</link>
      <pubDate>Thu, 20 Mar 2008 09:12:54 +0900</pubDate>
            <description>翻訳家の仕事岩波書店編集部編新書, 岩波書店, 2006/12Amazon 翻訳とは、考えれば考えるほどわけのわからない行為である。ある言語で書かれたことがらを、完全に他の言語に置き換えることは原理的にできない。なのに翻訳家たちは、そんなことは百も承知で、原著と限りなく等価に近い相似物を創ろうと、訳語一つに呻吟する。いったい翻訳の何が彼らを惹きつけるのか。そもそも翻訳とはどういうことなのか。単純に答えの出せる質問ではないだろうが、本書はそんなつかみどころのない問いに対し、いくつかの手がかりを与えてくれる。 本書は、岩波書店の雑誌『図書』に連載された...</description>
      <content:encoded><![CDATA[
<table cellspacing="0" cellpadding="0" border="0"><tbody><tr><td><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4004310571/meroppresver2-22/ref=nosim/" target="_blank"><img src="http://images-jp.amazon.com/images/P/4004310571.09._OU09_PE0_PC_SCTZZZZZZZ_.jpg" border="0" class="pict" alt="翻訳家の仕事" /></a></td><td>翻訳家の仕事<br />岩波書店編集部編<br />新書, 岩波書店, 2006/12<br /><br /><span style="font-size: 9pt">Amazon</span></td></tr></tbody></table><br />　翻訳とは、考えれば考えるほどわけのわからない行為である。ある言語で書かれたことがらを、完全に他の言語に置き換えることは原理的にできない。なのに翻訳家たちは、そんなことは百も承知で、原著と限りなく等価に近い相似物を創ろうと、訳語一つに呻吟する。いったい翻訳の何が彼らを惹きつけるのか。そもそも翻訳とはどういうことなのか。単純に答えの出せる質問ではないだろうが、本書はそんなつかみどころのない問いに対し、いくつかの手がかりを与えてくれる。<br /><br />　本書は、岩波書店の雑誌『図書』に連載された「だから翻訳はおもしろい」をまとめたエッセイ集である。現役の翻訳家37人が、翻訳の魅力や苦悩や愉悦をありのままに語っている。高尚な比較文化論を展開する人、自らの来し方を振り返る人、翻訳にまつわる軽妙なエピソードを紹介する人、語り口は十人十色である。<br /><br />　もっとも、雑誌連載時のタイトルとは裏腹に、翻訳が楽しくて仕方がないという人はほとんどいない。多くの翻訳家が、むしろその作業の難しさやもどかしさ、苛立ちや焦りを口にする。<a name="more"></a><br/><br/>　しかし同時に、何人かが異口同音に語っているのは、原著から聞こえてくる声に耳を澄まし、聞き取ったその声を、それに最も相応しい言葉で再現し得たと感じたときの満足感である。訳文を作る段においては、翻訳者は限りなく創作者に近い。むろんそこには産みの苦しみが伴うが、納得のいく訳文ができたときの達成感は他に例えようがない、と。<br /><br />　また、人間は日常のさまざまな場面で「翻訳」を行っていると語る人もいる。異言語間の翻訳に限らず、古典を現代語に訳したり、方言を標準語に云い換えたり、人の気持ちを読み取ったり、不可解な出来事の意味を考えたり、と、およそ「解釈」や「理解」と「表現」とに関わることがらは、なべて一種の「翻訳」だと云うことができる。あるいはこうして書評を書くという行為にも、それはあてはまるかもしれない。そのように自分に身近なものごとから演繹してみると、彼らの云う難しさやおもしろさが、うっすらとではあるがわかるような気がする。<br /><br />　ともあれ、本書を通読し、彼らの言葉を総括してみても、「翻訳とは何なのか」が見えてくることはない。だいいちあまりにも多種多様で総括のしようがない。しかしそれらを通じて、翻訳作品というものが、単なる外国文学の置換に留まらない一種独特な魅力を湛えたものであることにあらためて気付く。<br /><br />　いささか長い引用になるが、自身、翻訳文学を愛する者の一人として、全身がびりびりしびれた一節をぜひともここでご紹介したい。フランス文学翻訳家の野崎歓の言である。<blockquote>　翻訳は必然的に不正確であり、正解は原著のみだろうと正論を吐く人もいる。まさにそのとおり。Call me Ishmael. 『白鯨』原作の冒頭の一句くらいは僕も知っている。意味は読んで字のごとし。だがこの短文が今までどれほど多様な日本語訳を生んできたことか。そのすべてを並べてみれば壮観だろう。二、三比べてみただけでも、各訳者が次々に鯨の泳ぐ海に飛び込んでいくような感じで、一人として同じフォームの者はいない。原文との同一性を求めながら、結果がばらばらとは何事か。しかしそれこそが翻訳のダイナミズムだと強弁したい。翻訳は運動であり、たえざる跳躍である。（中略）跳躍のスリルには他に代えがたいものがある。翻訳を読む愉しみもまた、そんな運動感覚につながっているはずだ。</blockquote>　翻訳作品について、原著と読み比べたわけでもないのに、訳の良し悪しを云う人がいる。しかし、なめらかで読みやすい、いわゆる「こなれた」訳文が必ずしも名訳というわけではない。と云うより、およそ優れた翻訳とはどうしても「翻訳調」を帯びるものだ。それは異国の文学を捕まえようとする言葉による闘いの痕跡であり、異言語と格闘する日本語の雄姿なのである。優れた翻訳作品は、外国文学のみならず、躍動する日本語の逞しさをも読者に体験させてくれる。野崎の言葉は、そう教えてくれているように聞こえた。<br /><br /><FONT color="#79a4cc">■</FONT> 関連（するかもしれない）記事<br /><a href="http://pliocene.seesaa.net/article/17044849.html">特盛！ SF翻訳講座 翻訳のウラ技、業界のウラ話 / 大森望　[読書日記]</a>
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]]></content:encoded>
      <category>書評 : エッセイ・コラム</category>
      <author>佐吉</author>
                </item>
        <item>
      <title>恥辱 / カーリン・アルヴテーゲン [書評]</title>
      <link>http://pliocene.seesaa.net/article/89796040.html</link>
      <pubDate>Sun, 16 Mar 2008 18:15:14 +0900</pubDate>
            <description>恥辱カーリン・アルヴテーゲン, Karin Alvtegen, 柳沢由実子文庫本, 小学館, 2007/11/06Amazon カーリン・アルヴテーゲンは、スウェーデン南部の小さな町に生まれ、ともに教師を務める両親のもと、常に文学が身近にあり、家族の誰もがものを書くという、知的で穏やかな家庭に育ったという。大叔母に『長靴下のピッピ』で知られるアストリッド・リンドグレーンがいて、その国民的児童文学作家の影響を強く受けたとも本人は語っている。しかし、そんな幸福な少女時代とは裏腹に、彼女が創作を始めたのは実に悲痛な動機からだった。 きっかけは仲の良かった兄の事故死だった。折しも第二子の臨月を迎えていた彼女...</description>
      <content:encoded><![CDATA[
<table cellspacing="0" cellpadding="0" border="0"><tbody><tr><td><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4094081526/meroppresver2-22/ref=nosim/" target="_blank"><img src="http://images-jp.amazon.com/images/P/4094081526.09._OU09_PE0_PC_SCTZZZZZZZ_.jpg" border="0" class="pict" alt="恥辱" /></a></td><td>恥辱<br />カーリン・アルヴテーゲン, Karin Alvtegen, 柳沢由実子<br />文庫本, 小学館, 2007/11/06<br /><br /><span style="font-size: 9pt">Amazon</span></td></tr></tbody></table><br />　カーリン・アルヴテーゲンは、スウェーデン南部の小さな町に生まれ、ともに教師を務める両親のもと、常に文学が身近にあり、家族の誰もがものを書くという、知的で穏やかな家庭に育ったという。大叔母に『長靴下のピッピ』で知られるアストリッド・リンドグレーンがいて、その国民的児童文学作家の影響を強く受けたとも本人は語っている。しかし、そんな幸福な少女時代とは裏腹に、彼女が創作を始めたのは実に悲痛な動機からだった。<br /><br />　きっかけは仲の良かった兄の事故死だった。折しも第二子の臨月を迎えていた彼女は、その悲しみをきちんと受け止めることができないまま出産と育児に忙殺され、さらに離婚を経験して、深刻な鬱状態に陥り、療養生活を余儀なくされる。そしてその心の痛みを真正面から見つめるため、つまり一種の心理療法として、文章を書き始めたのだという。<br /><br />　デビュー作<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4094054626/meroppresver2-22/ref=nosim/" target="_blank">『罪』</a>で注目を集め、二作目の<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4094054618/meroppresver2-22/ref=nosim/" target="_blank">『喪失』</a>でグラス・キー賞（ベスト北欧推理小説賞）を受賞したアルヴテーゲンは、一躍「北欧ミステリー界の女王」と称されるようになる。しかし彼女の作品の魅力は、謎解きの妙よりむしろ、心の歯車が狂い、絶望と狂気の淵に追い詰められた人間の内奥の描き方にある。<a name="more"></a><br/><br/>　『罪』、『喪失』の二作は、それぞれ心に傷を負った人物が主人公であり、ミステリー仕立てではあるものの、彼らの心理描写が作品全体に通奏低音として響いていた。続く<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4094054634/meroppresver2-22/ref=nosim/" target="_blank">『裏切り』</a>では、ミステリーというプロットの牽引力に頼ることなしに、純粋な心理サスペンスとして、夫婦関係のみならず人生の破局へと向かう男女の心理を、鳥肌が立つような緻密さで描いてみせた。そして四作目となる本作で、アルヴテーゲンはその筆致をさらに尖鋭化させている。<br /><br />　この物語には二人の主人公がいる。一人はクリニックの医局長を務める38歳の女医モニカ。傍目には成功者に見える彼女だが、実は子どもの頃に敬愛していた兄を火事で失い、自分だけが助かったことに負い目を感じている。未だ息子の死を悔やむ母のため、兄の代わりとなるべく常に完璧であろうとする一方で、自分には幸せを求める権利さえないと思っている。<br /><br />　そしてもう一人の主人公、一人暮らしで50代半ばのマイブリットは、ベッドに横たわることもできないほどの肥満に苦しんでいる。彼女にとってはその身体を他人に見られることが最大の恥辱であり、ヘルパーの介護がなければ日常生活すらままならないにも関わらず、ずっとアパートに閉じこもったまま、傲慢な態度をとってはヘルパーたちを追い返してしまう。<br /><br />　互いに何の接点もない彼女たちそれぞれに、忌避し続けてきた過去の記憶と向き合わざるを得ない出来事が起こる。二人の物語が一章ずつ交互に語られ、各々の心のひだが徐々にあらわになってゆく。ひりひりするような緊張感を保ちながら、話は急テンポで展開し、二つの物語は見えざる手に導かれるようにして、その交点へ向かってゆく。<br /><br />　アルヴテーゲンは今も自分のために小説を書くという。自らを救済しようともがき苦しむ彼女の作品の主人公たちには、皆どこかしら彼女自身の姿が投影されている。それだけに、その内面の描き方には鬼気迫るものがある。ただし本作は、これまでの三作と違って宗教的倫理観が一つの主題になっているため、キリスト教に疎い日本人には、登場人物たちの行動や選択に腑に落ちない部分があるかもしれない。しかしそれでもなお、断崖から深淵をのぞき込むような彼女の筆致の生々しさには、しばしば背筋が寒くなる。それと同じものが自分の内側にもあることに気づかされ、その闇の深さに思わず足がすくむのである。<br /><br />　彼女を創作に向かわせる力が何であれ、アルヴテーゲンの心の奥底を見つめる視線が、一作ごとに研ぎ澄まされていっていることは間違いない。本国ではすでに発表されているという第五作の邦訳も、今から待ち遠しい。<br /><br /><FONT color="#79a4cc">■</FONT> 関連（するかもしれない）記事<br /><a href="http://pliocene.seesaa.net/article/36862047.html">喪失 / カーリン・アルヴテーゲン　[読書日記]</a><br /><a href="http://pliocene.seesaa.net/article/38390838.html">最近の掘り出し物三冊　[読書日記]</a><br /><a href="http://pliocene.seesaa.net/article/100211121.html">タンゴステップ / ヘニング・マンケル　[書評]</a><br /><a href="http://pliocene.seesaa.net/article/101156923.html">目くらましの道 / ヘニング・マンケル　[書評]</a>
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      <category>書評 : 文芸（海外）</category>
      <author>佐吉</author>
                </item>
        <item>
      <title>古本屋の女房 / 田中栞 [書評]</title>
      <link>http://pliocene.seesaa.net/article/88425933.html</link>
      <pubDate>Wed, 05 Mar 2008 23:16:20 +0900</pubDate>
            <description>古本屋の女房田中栞単行本, 平凡社, 2004/11Amazon 古本屋の店主や古書の愛好家が、古本屋にまつわるエピソードや古書についての薀蓄を語った書は枚挙に暇がない。そうした「古本の本」は古本好きにはこたえられないものである。評者もご多分にもれず、作家にして古書店の店主でもあった出久根達郎や、無類の古本好きで「神保町ライター」を自称する岡崎武志などのエッセイを愛読している。本書『古本屋の女房』もまた古本と古本屋について書かれたエッセイの一冊なのだが、この本は著者が女性であるという点で、ひときわ異彩を放っている。 著者の田中栞は、本好き...</description>
      <content:encoded><![CDATA[
<table cellspacing="0" cellpadding="0" border="0"><tbody><tr><td><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4582832423/meroppresver2-22/ref=nosim/" target="_blank"><img src="http://images-jp.amazon.com/images/P/4582832423.09._OU09_PE0_PC_SCTZZZZZZZ_.jpg" border="0" class="pict" alt="古本屋の女房" /></a></td><td>古本屋の女房<br />田中栞<br />単行本, 平凡社, 2004/11<br /><br /><span style="font-size: 9pt">Amazon</span></td></tr></tbody></table><br />　古本屋の店主や古書の愛好家が、古本屋にまつわるエピソードや古書についての薀蓄を語った書は枚挙に暇がない。そうした「古本の本」は古本好きにはこたえられないものである。評者もご多分にもれず、作家にして古書店の店主でもあった出久根達郎や、無類の古本好きで「神保町ライター」を自称する岡崎武志などのエッセイを愛読している。本書『古本屋の女房』もまた古本と古本屋について書かれたエッセイの一冊なのだが、この本は著者が女性であるという点で、ひときわ異彩を放っている。<br /><br />　著者の田中栞は、本好き、古本好きが高じて古本屋の主人と結婚し、文字通り「古本屋の女房」となった女性である。そんな彼女だから、妊娠、出産、育児と家庭のことに追われながらも、趣味と実益を兼ねた古書マニアはやめられない。大きなお腹を抱えて、赤ん坊を負ぶって、ベビーカーを押して、おじさんたちの加齢臭立ちこめる古書展に出向き、篆刻教室に通ってオリジナルの蔵書印を作り、全国各地の古本屋を訪ねてはせどりに励む。ちなみに「せどり」とは、ブックオフの100円均一本など他の古書店で安く仕入れた書籍を、より高い値段で転売して利鞘を稼ぐことをいう。<br /><br />　本書の紹介文で彼女自身が云っているように、田中は『古本屋と古本業界と家庭の裏事情を赤裸々に』綴っている。生活感あふれる語り口で、こんなことまで明かしていいのかと思うようなことさえ、あきれるほどおおらかに語っている。本文に60点近く挿入された彼女自身の手になるイラストもほのぼのとして楽しい。幼い子どもの手を引き、大きなリュックを背負い、文庫本をぎっしり詰めたショッピング・カートを引いて、次はこの店、今度はあの店と、せどりに全国を駆け回る彼女の奮闘ぶりは実に痛快で、そのパワフルさに思わず圧倒されそうになる。<a name="more"></a><br/><br/>　ときに、著者がそこまでするのは、もちろんそれが古本屋の仕事だからでもあるのだが、何より本を大量に買うのが爽快だからだと彼女は話す。その気持ちはよくわかる。新刊書店ではなかなかそんな真似はできないが、というかできないからこそ、古書店で均一本を何十冊もまとめて買うのは、その中身に関わらず気持ちの良いものである。あの店でこんな本を買った、この店では何冊買った、と嬉々として語る彼女の口ぶりに、思わずこちらまでにやにやしてしまう。<br /><br />　しかし反面、彼女の娘と息子についての記述があまりにも多いのには、ちょっと辟易する。くだんのイラストも、多くはその子どもたちを描いたもので、あちこちの古書店の店舗を描いたイラストにも、少なからず子どもたちが点景として配されている。いずれも微笑ましい記述であり楽しいイラストではあるのだが、こうも親ばかぶりを見せつけられると、正直、やや鼻白んでしまう。<br /><br />　また本編の最後、『女房が離婚を考えるとき』という一節では、店舗の移転に伴って店の大家や不動産屋との間にトラブルが生じ、それを解決すべく奔走する過程で、夫との離婚を考えるに至る顛末が綴られているのだが、これにもいささか閉口する。子どもについては呆れるほど多くを語っているのに対し、夫に関する記述は全編を通じてほんのわずか、それもひどく淡白なもので、「人が好すぎる」という以外に夫の人物像がさっぱり浮かんでこないため、離婚を考えるまでの経緯がどうにもぴんとこないのである。そもそもそのトラブル自体があらゆる個人商店において起こり得る内容であり、古本屋だからこそという記述はほとんど見当たらない。つまりこの一節は、個人的な憤懣を吐き出すために書かれた愚痴のようなものにすぎず、読む側としては、同情はするものの嫌な後味を覚える。<br /><br />　と、まあ、そんな具合にやや自分本位な子育て日記のような側面もないではないのだが、田中の文章は親しみやすく、あくまで生活者の立場で書かれた古本屋の暮らしぶりもユニークで興味深い。本文はもちろん、装丁の細部にまで著者の思い入れがあふれていて、いかにも本好きが造った本であることを窺わせるし、なんだかんだ云いながら、「レジに持っていきづらいボーイズラブ小説は娘に買いに行かせる」などというくだりには思わず吹きだしてしまう。とりわけ彼女と同じように子育て中の本好き、古本好きの女性には楽しい一冊に違いない。<br /><br />　ところで田中は、本書の「あとがき」で、今ではせどりをしなくなったと書いている。それは、その後彼女の夫の店が、規模を縮小して絶版文庫中心のインターネット古書店になったことにもよるのだが、一方で、ブックオフなどで以前ほど値打ちのある本が抜き出せなくなったからだともいう。<br /><br />　他所で聞いた話だが、せどりはかつて、古書に関する確かな鑑識眼を持ったプロの業者にしかできない仕事だったが、Yahoo!オークションやAmazonマーケットプレイスなどの普及によって、さらには古書の相場を簡単に知ることができるツールの登場によって、今では一般の素人にもせどりをする人が増えているのだという。それゆえブックオフなどでも、見る人が見ればかなりの値段が付けられる「お宝本」は、あっという間に抜かれてしまうのだそうだ。<br /><br />　なるほど、評者のような、たまにふらりと立ち寄るだけの一般客が、「これは！」と思うようなお宝になかなか巡り会えないのも道理だ。<br /><br /><FONT color="#79a4cc">■</FONT> 関連（するかもしれない）記事<br /><a href="http://pliocene.seesaa.net/article/46168895.html">古本綺譚 / 出久根達郎　[読書日記]</a><br /><a href="http://pliocene.seesaa.net/article/43299137.html">御書物同心日記 / 出久根達郎　[読書日記]</a><br /><a href="http://pliocene.seesaa.net/article/5142436.html">ブックオフ探訪記 (？)　[雑記帖]</a>
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]]></content:encoded>
      <category>書評 : エッセイ・コラム</category>
      <author>佐吉</author>
                </item>
        <item>
      <title>『リアル鬼ごっこ』は「リアル」だったのか [雑記帖]</title>
      <link>http://pliocene.seesaa.net/article/87974366.html</link>
      <pubDate>Sun, 02 Mar 2008 17:00:17 +0900</pubDate>
            <description>リアル鬼ごっこ山田悠介単行本, 文芸社, 2001/11Amazon 佐吉がその本の存在を知ったのは、独自の視点と歯に衣着せぬクールな語り口で、多くの映画ファンから一目置かれている、ミワさんの映画レビューのサイトによってだった。ミワさんはそこで、先頃公開されたとある邦画のレビューを書かれていた。 映画そのものについては、ミワさんの評価は決して芳しいものではなかった。けれどミワさんは、それでも原作と比べると、よくぞこんなきちんとした映画にできたものだと泣けてくる、とも書かれていた。曰く、原作は世界観が幼稚で構成が杜撰（ずさん）、めちゃくちゃな日本語で書かれた文章は、語彙が貧弱で比喩も浅薄、要するにおよそ評価すべきところのない小説なのだそうだ。 しかし、ならばどうしてそんな小説が映画化さ...</description>
      <content:encoded><![CDATA[
<table cellspacing="0" cellpadding="0" border="0"><tbody><tr><td><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4835525795/meroppresver2-22/ref=nosim/" target="_blank"><img src="http://images-jp.amazon.com/images/P/4835525795.09._OU09_PE0_PC_SCTZZZZZZZ_.jpg" border="0" class="pict" alt="リアル鬼ごっこ" /></a></td><td>リアル鬼ごっこ<br />山田悠介<br />単行本, 文芸社, 2001/11<br /><br /><span style="font-size: 9pt">Amazon</span></td></tr></tbody></table><br />　佐吉がその本の存在を知ったのは、独自の視点と歯に衣着せぬクールな語り口で、多くの映画ファンから一目置かれている、<a href="http://www.asahi-net.or.jp/~en6m-uri/" target="_blank">ミワさんの映画レビューのサイト</a>によってだった。ミワさんはそこで、先頃公開されたとある邦画のレビューを書かれていた。<br /><br />　映画そのものについては、ミワさんの評価は決して芳しいものではなかった。けれどミワさんは、それでも原作と比べると、よくぞこんなきちんとした映画にできたものだと泣けてくる、とも書かれていた。曰く、原作は世界観が幼稚で構成が杜撰（ずさん）、めちゃくちゃな日本語で書かれた文章は、語彙が貧弱で比喩も浅薄、要するにおよそ評価すべきところのない小説なのだそうだ。<br /><br />　しかし、ならばどうしてそんな小説が映画化されたのだろう。そもそもそれはどんな小説なのだろう。物好きな佐吉はにわかに好奇心を掻きたてられ、その原作『リアル鬼ごっこ』についての情報を、ネット上でいくつか拾ってみた。すると実に興味深いことがわかった。<a name="more"></a><br/><br/>　『リアル鬼ごっこ』は、作者の山田悠介が20歳のときに書いたホラー小説である。2001年に文芸社から自費出版の形で刊行されて100万部以上を売り上げ、2004年にはさらに幻冬舎から文庫版が出版されている。しかしながら、この作品について書かれたレビューは、その大半が酷評である。曰く、「この本がなぜこんなに売れているのか理解できない」、「冒頭の10ページを読んで投げ捨てた」、「小学生でももっとマシな文章を書く」、「出版業界の良識を疑う」、「日本の文学は終わった」……。『リアル鬼ごっこ』は、むしろその拙劣さゆえに各所で話題になっていたのである。<br /><br />　ただし、文庫版の『リアル鬼ごっこ』においては、プロットの整合をとり文章の誤りを正すなど、徹底的な改訂がなされているとも聞いた。しかし、ミワさんが読まれたのはその改訂版であり、ミワさんはそれでもなお、上に云ったような印象を持たれたとおっしゃっているのである。となると、改訂前の『リアル鬼ごっこ』はいったいどれだけアナーキーな作品だったのだろう。そして、どうしてそれが100万部も売れたのだろう。恐いもの見たさも手伝って、関心は弥（いや）が上にも高まっていった。矢も盾もたまらず、佐吉は『リアル鬼ごっこ』の単行本（自費出版本）を、オンライン古書店で物色した。<br /><br />　100万部も売れたという一方で、すぐさま手放した人も多かったのだろう。検索してみると、単行本にしても文庫本にしても、『リアル鬼ごっこ』の古本はタマが豊富だった。値段も100円ちょっとからとお手頃だったので、早速、改訂前の単行本を取り寄せ、昨日届いた2002年9月発行の初版第5刷を通読してみた。<br /><br />　なるほど、たしかにひどい作品である。しかしながら、そのひどさを論ずることが本稿の目的ではない。内容にせよ文章にせよ、『リアル鬼ごっこ』の稚拙さについては、すでに巷間で語りつくされている感がある。なので、ここで敢えてそれを繰り返すことはしない。その代わりと云っては何だが、<a href="http://blog.livedoor.jp/tezzco/archives/14930298.html" target="_blank">とりわけ微に入り細を穿った批評</a>を見つけたのでご紹介しておく。この作品がどれだけ幼稚かについてはそちらをご覧いただくとして、佐吉はなぜこの本がそんなに支持されたのかを考えてみたい。<br /><br />　小説にせよ映画にせよ、あるいは演劇にせよ、フィクションとはなべて、受け手になんらかのリアルなイメージを思い描かせるための手段だと云うことができる。フィクションにおけるリアリティとは、それがどれだけ現実に即しているかとか、ディテールがどれだけ写実的に描かれているかとかいうことではなく、その作品がどれだけ説得力のあるイメージを喚起するかということにある、と少なくとも佐吉は思う。<br /><br />　然るに『リアル鬼ごっこ』は、いくら読み進めても、ちっともリアルなイメージが浮かんでこない。それどころか、そもそも作者が思い浮かべているのが、リアルな情景などではなく、マンガかアニメの、それもかなりありきたりなシーンの連続であることが、ありありと窺えるのである。『リアル鬼ごっこ』は、そんな作者の脳裏に浮かんだ紋切り型の映像を、整合性も必然性もおかまいなしに繋げただけの作文にすぎない。つまりこの作品は、どこかで見たようなマンガかアニメの映像を読者に想起させるための、脈絡のない絵のない絵コンテのようなものなのである。<br /><br />　そして、おそらくはそのことが、この作品がこれほどまでに売れた理由なのだろう、と佐吉は思う。この作品は、主に中高生に支持されたと聞いている。この作品を酷評したレビューには、「この作品が好きだというのは、普段本など読まない人たちだろう」という意見が少なからず見られた。それは概ねあたっているだろう。この作品を支持した中高生たちはきっと、まともな小説の文章からリアルなイメージを思い描くことには慣れていないものの、この作文からマンガかアニメのシーンを思い浮かべることはできたのである。そして、そうして二次元のイメージができあがってしまえば、物語世界が幼稚であろうと、構成が杜撰であろうと、そもそも物語にとって必要のない場面であろうと、個々のシーンについては、カッコよかった、迫力があった、スピード感があったと感じることは可能なのである。普段なら、2、3ページも活字を追えば眠くなってしまう彼らにとって、それは蓋（けだ）し稀有な「しょうせつ」だったに違いない。<br /><br />　と、まあ、そんなふうにして、この作品が一部の若年層に支持されたのではないかと佐吉は想像する。とは云えもちろんそれは、そう考えれば多少は納得がいくというだけの話であって、何ら根拠があるわけではない。正直に云えば佐吉も、こんな小説とも呼べないような小説が100万部も売れ、あまつさえ映画化までされたことが、それを読み終えた今も不思議でならない。もっとも、これまた愚にもつかない「ケータイ小説」やら、大森・豊崎のメッタ斬りコンビ云うところの「頭の悪い恋愛小説」やらが、やはり同じようにもてはやされ、原作も映画も商業的に成功を収めていることを考えれば、そんなものかと思わないでもないが。<br /><br />　ふう。律儀にも『リアル鬼ごっこ』に最後まで付き合ったせいか、今日の佐吉の文章は、いつにもまして稚拙である。実を云うと、佐吉は今、頭が混乱している。文章を考えれば考えるほど、泥沼にハマってゆく。何かまっとうな本を読んで、今すぐ頭の中から山田の文章を追い出したほうが良さそうだ。なので、この辺で筆を置くことにする。かくも惨憺たる駄文に、ここまでお付き合いくださった皆さん、どうもありがとうございました。<br /><br /><table cellspacing="0" cellpadding="0" border="0"><tbody><tr><td><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4344405137/meroppresver2-22/ref=nosim/" target="_blank"><img src="http://images-jp.amazon.com/images/P/4344405137.09._OU09_PE0_PC_SCTZZZZZZZ_.jpg" border="0" class="pict" alt="リアル鬼ごっこ" /></a></td><td>リアル鬼ごっこ<br />山田悠介<br />文庫本, 幻冬舎, 2004/04<br /><br /><span style="font-size: 9pt">Amazon</span></td></tr></tbody></table><table cellspacing="0" cellpadding="0" border="0"><tbody><tr><td><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4286000095/meroppresver2-22/ref=nosim/" target="_blank"><img src="http://images-jp.amazon.com/images/P/4286000095.09._OU09_PE0_PC_SCTZZZZZZZ_.jpg" border="0" class="pict" alt="リアル鬼ごっこ+" /></a></td><td>リアル鬼ごっこ+<br />山田悠介<br />単行本, 文芸社, 2007/12<br /><br /><span style="font-size: 9pt">Amazon</span></td></tr></tbody></table>
]]><![CDATA[
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      <category>雑記帖</category>
      <author>佐吉</author>
                </item>
        <item>
      <title>煙る鯨影 / 駒村吉重 [書評]</title>
      <link>http://pliocene.seesaa.net/article/85094868.html</link>
      <pubDate>Thu, 21 Feb 2008 01:01:44 +0900</pubDate>
            <description>煙る鯨影駒村吉重単行本, 小学館, 2008/01/31Amazon 日本には今も現役の商業捕鯨船が存在する。 と云うと、あるいは意外に思われる方もいらっしゃるかもしれない。国際捕鯨委員会（IWC）における「商業捕鯨の一時停止」措置の決定を受け、日本では現在、調査捕鯨のみが行われていて、商業捕鯨はまったく行われていない、と、きっと多くの方が思われているに違いない。評者もこの本に出会うまではそう思っていた。 しかし実際には、IWCが保護の対象としているのは、83種の鯨類のうち、シロナガス鯨、セミ鯨、イワシ鯨などの髭鯨を中心とする13の大型種であ...</description>
      <content:encoded><![CDATA[
<table cellspacing="0" cellpadding="0" border="0"><tbody><tr><td><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4093797811/meroppresver2-22/ref=nosim/" target="_blank"><img src="http://images-jp.amazon.com/images/P/4093797811.09._OU09_PE0_PC_SCTZZZZZZZ_.jpg" border="0" class="pict" alt="煙る鯨影" /></a></td><td>煙る鯨影<br />駒村吉重<br />単行本, 小学館, 2008/01/31<br /><br /><span style="font-size: 9pt">Amazon</span></td></tr></tbody></table><br />　日本には今も現役の商業捕鯨船が存在する。<br /><br />　と云うと、あるいは意外に思われる方もいらっしゃるかもしれない。国際捕鯨委員会（IWC）における「商業捕鯨の一時停止」措置の決定を受け、日本では現在、調査捕鯨のみが行われていて、商業捕鯨はまったく行われていない、と、きっと多くの方が思われているに違いない。評者もこの本に出会うまではそう思っていた。<br /><br />　しかし実際には、IWCが保護の対象としているのは、83種の鯨類のうち、シロナガス鯨、セミ鯨、イワシ鯨などの髭鯨を中心とする13の大型種であって、それ以外の鯨類については、今もなお商業捕鯨が可能なのである。<br /><br />　とは云え、需要と供給のバランスから云えば、大型鯨類の捕獲禁止は、事実上、商業捕鯨の全面禁止に等しい。水産庁の管理のもと、現在日本で5艘のみが操業している小型捕鯨船が獲っているのは、肉に独特の臭みがあるため、国内でも一部の地域でしか需要のない、ゴンドウ鯨、ツチ鯨といった小型の歯鯨である。しかもそのわずかな需要さえ、近年、徐々に減りつつあり、ただでさえ逼迫している日本の商業捕鯨を取り巻く環境は、出口の見えないトンネルの中にいるようである。本書は、そうした厳しい状況の中、それでもなお鯨を追い続ける海の男たちを追った、著者渾身のドキュメンタリーである。<a name="more"></a><br/><br/>　日本における古式捕鯨発祥の地であり、かつては捕鯨や鯨肉加工で活況を呈した<a href="http://www.town.taiji.wakayama.jp/" target="_blank">和歌山県太地町</a>は、水産業が衰退した今も、くじら博物館をはじめ、多くの古式捕鯨時代の施設を整備して観光に力を入れるなど、捕鯨の文化と伝統を継承する「くじらの町」である。著者の駒村吉重は、その太地港を拠点とする第7勝丸に同船し、現代の鯨捕りたちが、太地沖でゴンドウ鯨を追い、房総和田沖や網走沖でツチ鯨を追う様子を、克明に真摯に伝えてゆく。<br /><br />　日本の捕鯨史を振り返ったプロローグと、取材までの経緯を綴った第1章では、いささか気負いすぎの感のある修辞を凝らした文体にやや閉口させられるが、捕鯨の現場を追いはじめる第2章からは、一転、臨場感あふれるテンポの良い文章で、ぐいぐいページを繰らせる。なかなか鯨に巡り会えないときの焦燥感と無力感、鯨を発見したときの緊迫感と、ようやく追い詰めた鯨に銛を放つときの緊張感、そして海と陸とを行き来して暮らす男たちの生活感が、乗組員それぞれの人物像とともに、行間からあふれんばかりに伝わってくる。<br /><br />　ときに、いかに零細な商業捕鯨と云えども、一連の国際捕鯨問題と決して無縁ではあり得ない。本書においても、IWCにおける捕鯨問題の変遷と、それに絡んだ日本の近代捕鯨の歩みの説明に、ほぼ1章が割かれている。けれど駒村は、本書において、捕鯨について賛成の立場も反対の立場もとっていない。<br /><br />　この作品は第14回小学館ノンフィクション大賞を受賞している。だがその選考過程において、「捕鯨問題に対する態度を明確にしていない」という指摘があったことも、本書のあとがきで明かされている。しかし駒村によれば、現在のIWCにおいては、捕鯨国、反捕鯨国双方の主張は、相容れるところのない水掛け論であり、どちらも、なにがしかの利害関係のある他の国々を巻き込んでの、不毛な多数派工作に終始しているというのが実情だそうで、だとすれば、ここで声高に捕鯨賛否論を訴えることに、さほどの意味があるとは思えない。<br /><br />　実際、そうした問題を、他の誰よりも深刻な死活問題として受け止めているであろう鯨捕りの男たちにしても、ひとたび海に出てしまえば、そんな抽象的な議論に関わっている暇などないだろう。彼らが見据えているのは、洋上に不意に現れる鯨の影だけなのである。『煙る鯨影』は、そんな鯨捕りたちの姿を、ことさら美化するでもなく、また哀れむでもなく、ただありのままに伝えた記録文学なのである。<br /><br />　日本の捕鯨賛成派がしばしば口にする意見のひとつに、捕鯨は日本の文化だという云い方がある。本書は、鯨捕りの男たちだけでなく、その捕鯨船の母港や寄港地で、ずっと鯨と関わってきた人々の暮らしぶりをもあるがままに描き、今の日本における捕鯨文化がどのようなものであるかを、観念論としてでなく、あくまで現実のものとして活写している。そしてそこにこそ、本書の存在意義がある。第7勝丸は、今も鯨影を追って海原を駆けており、太地や和田の人々は、鯨の陸揚げを心待ちにしている。
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]]></content:encoded>
      <category>書評 : ノンフィクション</category>
      <author>佐吉</author>
                </item>
        <item>
      <title>嘘つきアーニャの真っ赤な真実 / 米原万里 [書評]</title>
      <link>http://pliocene.seesaa.net/article/84705612.html</link>
      <pubDate>Mon, 18 Feb 2008 23:33:32 +0900</pubDate>
            <description>嘘つきアーニャの真っ赤な真実米原万里文庫本, 角川書店, 2004/06Amazon そのあまりにも早すぎる訃報（2006年5月）もまだ記憶に新しい、ロシア語通訳にしてエッセイスト、作家でもあった米原万里の『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』を読む。大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した本書は、米原自身を主人公に、彼女の在プラハ・ソビエト学校時代の3人の旧友との再会を描いた作品である。 かつてプラハには、国際共産主義運動の理論誌の編集局があり、マリ（米原）の父は日本共産党からそこに編集員として派遣されていた。マリは1960年から1964年、彼女にとっては9歳から1...</description>
      <content:encoded><![CDATA[
<table cellspacing="0" cellpadding="0" border="0"><tbody><tr><td><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4043756011/meroppresver2-22/ref=nosim/" target="_blank"><img src="http://images-jp.amazon.com/images/P/4043756011.09._OU09_PE0_PC_SCTZZZZZZZ_.jpg" border="0" class="pict" alt="嘘つきアーニャの真っ赤な真実" /></a></td><td>嘘つきアーニャの真っ赤な真実<br />米原万里<br />文庫本, 角川書店, 2004/06<br /><br /><span style="font-size: 9pt">Amazon</span></td></tr></tbody></table><br />　そのあまりにも早すぎる訃報（2006年5月）もまだ記憶に新しい、ロシア語通訳にしてエッセイスト、作家でもあった米原万里の『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』を読む。大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した本書は、米原自身を主人公に、彼女の在プラハ・ソビエト学校時代の3人の旧友との再会を描いた作品である。<br /><br />　かつてプラハには、国際共産主義運動の理論誌の編集局があり、マリ（米原）の父は日本共産党からそこに編集員として派遣されていた。マリは1960年から1964年、彼女にとっては9歳から14歳までの約5年間をかの地で過ごした。彼女が通った在プラハ・ソビエト学校は、ソ連外務省が直接運営する外国共産党幹部の子女のための学校で、そこには当時、50ヵ国以上もの国々の子どもたちが学んでいた。故国を離れて暮らす彼らは皆「イッパシの愛国者」だった。米原は彼らの愛国心について、<blockquote>　異国、異文化、異邦人に接したとき、人は自己を自己たらしめ、他者と隔てるすべてのものを確認しようと躍起になる。自分に連なる祖先、文化を育んだ自然条件、その他諸々のものに突然親近感を抱く。これは、食欲や性欲に並ぶような、一種の自己保全本能、自己肯定本能のようなものではないだろうか。</blockquote>　と云い、また彼女自身、そこで「愛国心の萌芽のような」感情をはじめて自覚したと語る。<a name="more"></a><br/><br/>　マリには何人かの個性的な友人がいた。勉強はおそろしく苦手だけれど、性に関する知識においては「圧倒的絶対的権威者」だったギリシャ人のリッツァ、「労働者階級に属することに誇りを持って欲しいものだわ」などと大げさな共産主義的言辞を好んで口にしながら、自分は貴族のように贅沢な暮らしを享受しているルーマニア人のアーニャ、そして抜群の秀才で、立ち居振る舞いも落ち着いていて、しかしそれゆえどこか近寄りがたいユーゴスラビア人のヤスミンカ……。<br /><br />　日本に戻ったのちも、しばらくは彼女らと手紙のやり取りをしていたマリだったが、去る者は日々に疎し、いつしか連絡は途絶えてしまう。そして1968年、チェコスロバキアに「プラハの春」と呼ばれる民主化運動が起こり、それを鎮圧すべくソ連軍がワルシャワ条約機構軍を率いてプラハに侵攻する（チェコ事件）。その結果、国際共産主義運動は分裂状態に陥り、中東欧諸国は、のちの社会主義崩壊とそれに続く民族紛争につながる激動の渦に巻き込まれてゆく。<br /><br />　もちろん旧友たちの故国も例外ではない。ギリシャでは、1968年、クーデターにより、それまでの王政に代わって軍事独裁政権が誕生する。ルーマニアでは、1974年に大統領に就任したチャウシェスクの独裁によって経済が悪化し、やがて1989年の流血のルーマニア革命に至る。またユーゴスラビアは、1991年の十日間戦争を嚆矢に、民族紛争の泥沼にはまってゆく（のちに連邦は解体し、2003年、ユーゴスラビアは事実上消滅する）。ロシア語通訳となったマリは、ソ連崩壊後の混乱の日々に忙殺されながらも、旧友たちの安否が気になって仕方がなく、ロシアの要人の訪日中止による不意の休暇を利用して彼女らを探す旅に出る。<br /><br />　「リッツァの夢見た青空」、「嘘つきアーニャの真っ赤な」、そして「白い都のヤスミンカ」の3編は、いずれも文庫版で約100ページと、決して長くはない。どれもが、ソビエト学校時代のいくつかのエピソードを紹介し、それから約四半世紀ののち、マリが彼女たちの消息をつかむまでの経緯と、旧友どうしの再会の場面を短く綴っているにすぎない。しかしそこに、旧友たちそれぞれの人物像と彼女らの歩んできた人生が、ありありと浮かんでくる。そしてさらにそのむこうに、中東欧の激動の歴史が確かな手触りとともに立ち上がってくる。歴史の大きなうねりのただ中に生きてきた、彼女ら一人ひとりの人生そのものが、そうした歴史の一部であることに気づかされるのである。<br /><br />　ルーマニア人のアーニャは、かつて熱烈に祖国を愛していながら、その後あっさり宗旨替えし、今はイギリスに暮らしている。「民族とか言語なんて、下らないこと」と語るアーニャに、マリは云う。<blockquote>　「（前略）だいたい抽象的な人類の一員なんて、この世にひとりも存在しないのよ。誰もが、地球上の具体的な場所で、具体的な時間に、何らかの民族に属する親たちから生まれ、具体的な文化や気候条件のもとで、何らかの言語を母語として育つ。どの人にも、まるで大海の一滴の水のように、母なる文化と言語が息づいている。母国の歴史が背後霊のように絡みついている。それから完全に自由になることは不可能よ。そんな人、紙っぺらみたいにペラペラで面白くもない」</blockquote>　その言葉に評者は胸を衝かれた。さまざまな国や地域の歴史は、活字やニュースの映像の中にあるのではなく、一人ひとりの個人のリアルな歴史の総体としてある。地球上の誰もが、決して自分を取り巻く歴史や文化から自由であることはできない。まさにこれこそが、米原が本書を通じて読者に伝えようとしたメッセージなのかもしれない。彼女の提示する愛国心、あるいは民族感情は、一連の民族紛争の引き金となったナショナリズムとはまったく別のものである。<br /><br />　軽妙洒脱なエッセイで多くの読者に愛されてきた米原だが、一方で、この重いテーマを扱った本書をもって彼女の代表作と見る人も少なくない。それも決して故なくしてではないだろう。本書は、かの激動の時代のなかば当事者であり、なかば傍観者でもあった彼女にしか書き得なかった「真実の物語」なのである。<br /><br /><table cellspacing="0" cellpadding="0" border="0"><tbody><tr><td><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4048836811/meroppresver2-22/ref=nosim/" target="_blank"><img src="http://images-jp.amazon.com/images/P/4048836811.09._OU09_PE0_PC_SCTZZZZZZZ_.jpg" border="0" class="pict" alt="嘘つきアーニャの真っ赤な真実" /></a></td><td>嘘つきアーニャの真っ赤な真実<br />米原万里<br />単行本, 角川書店, 2001/07<br /><br /><span style="font-size: 9pt">Amazon</span></td></tr></tbody></table>
]]><![CDATA[
]]></content:encoded>
      <category>書評 : ノンフィクション</category>
      <author>佐吉</author>
                </item>
        <item>
      <title>カイト・ランナー / カーレド・ホッセイニ [書評]</title>
      <link>http://pliocene.seesaa.net/article/83195342.html</link>
      <pubDate>Sat, 09 Feb 2008 19:06:05 +0900</pubDate>
            <description>カイト・ランナーカーレド・ホッセイニ, Khaled Hosseini, 佐藤耕士単行本, アーティストハウスパブリッシャーズ, 2006/03Amazon アフガン人作家カーレド・ホッセイニの小説『カイト・ランナー』を再読する。 評者が最初にこれを読んだのは、今から2年前のことである。なんの予備知識もなく、たまたま書店で見かけて手に取ったのだが、評者が買ったハードカバーの『カイト・ランナー』（アーティストハウスパブリッシャーズ刊）は、その後ほどなくして絶版になっている。ところが昨年12月、それが『君のためなら千回でも』と改題され、ハヤカワepi文庫から復刊された。これを原作にした同名の映画の、日本での公開に先駆けてのことである。 ソ連軍による侵攻以前の平和なアフガニスタン。首都カブールの裕福な家庭に生まれたアミールは、誕生と同時に母を亡くし、実業家の父ババと一緒に暮らしている。家には召使いの父子アリとハッサンがいて、かつてババとアリが兄弟同然に育てられたように、ババもまた、アミールとハッサンとをわけ隔てなく育てている。 アミールにとっても、ひとつ年下のハッサンはかけがえのない親友だった。しかし同時に、二人の間には、階級、民族、宗派など、因習による差別が存在し、...</description>
      <content:encoded><![CDATA[
<table cellspacing="0" cellpadding="0" border="0"><tbody><tr><td><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4862340245/meroppresver2-22/ref=nosim/" target="_blank"><img src="http://images-jp.amazon.com/images/P/4862340245.09._OU09_PE0_PC_SCTZZZZZZZ_.jpg" border="0" class="pict" alt="カイト・ランナー" /></a></td><td>カイト・ランナー<br />カーレド・ホッセイニ, Khaled Hosseini, 佐藤耕士<br />単行本, アーティストハウスパブリッシャーズ, 2006/03<br /><br /><span style="font-size: 9pt">Amazon</span></td></tr></tbody></table><br />　アフガン人作家カーレド・ホッセイニの小説『カイト・ランナー』を再読する。<br /><br />　評者が最初にこれを読んだのは、<a href="http://pliocene.seesaa.net/article/15296692.html" target="_blank">今から2年前</a>のことである。なんの予備知識もなく、たまたま書店で見かけて手に取ったのだが、評者が買ったハードカバーの『カイト・ランナー』（アーティストハウスパブリッシャーズ刊）は、その後ほどなくして絶版になっている。ところが昨年12月、それが『君のためなら千回でも』と改題され、ハヤカワepi文庫から復刊された。これを原作にした<a href="http://eiga.com/official/kimisen/" target="_blank">同名の映画</a>の、日本での公開に先駆けてのことである。<br /><br />　ソ連軍による侵攻以前の平和なアフガニスタン。首都カブールの裕福な家庭に生まれたアミールは、誕生と同時に母を亡くし、実業家の父ババと一緒に暮らしている。家には召使いの父子アリとハッサンがいて、かつてババとアリが兄弟同然に育てられたように、ババもまた、アミールとハッサンとをわけ隔てなく育てている。<br /><br />　アミールにとっても、ひとつ年下のハッサンはかけがえのない親友だった。しかし同時に、二人の間には、階級、民族、宗派など、因習による差別が存在し、アミール自身にもまたそういう意識があった。厳格で篤実な父とは対照的に、からっきしいくじのないアミールは、父に疎まれているのではないかと常に不安を抱いており、父に愛されたいというアミールの願いは、そんな差別意識や子どもならではの残酷さと結びついて、ときにハッサンへの嫉妬と表裏をなすのだった。<a name="more"></a><br/><br/>　アミール12歳の冬、子どもたちにとって最大のイベントである凧合戦の日、二人は思いも寄らない事件に遭遇する。そこでアミールは、自分の臆病さゆえに、取り返しのつかない罪を犯してしまう。やがてそれは、ハッサンの人生を狂わせ、二人の間を無情に引き裂き、アミールの心にも決して癒えることのない傷を残す。<br /><br />　それから26年の月日が流れ、戦禍を逃れてアメリカに亡命したアミールのもとに、父の、そしてアミール自身の友人だったラヒム・カーンから、一本の電話がかかってくる。遠く電話回線の向こうのパキスタンから、ラヒム・カーンはアミールに告げる。「もう一度やり直す道がある」と……。<br /><br />　本書は、実に多くのテーマを描いた豊穣な作品である。それは少年の成長の物語であり、友情と背信の物語であり、親子の絆の物語であり、悔恨と贖罪の物語であり、望郷と哀惜の物語である。終始内省的な主人公アミールの独白を通して、それらが幾重にも織り込まれるように描かれている。<br /><br />　アミールの持つ弱さや優しさには、きっと多くの読者が共感するに違